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2012年9月15日 (土)

(354) 周囲の理解を求めるにあたって

「息子さんは、自閉症の疑いがあります」と児童相談所の臨床心理士さんから告げられてから、もうすぐ5年になろうとしています。

当時、薄々「この子は普通の子とはちょっと違う」と感じていましたが、そのようにハッキリ告げられた時のショックは図り知れないものがありました。

そもそも「自閉症って何?」という状態でした。篠原涼子さんが好演したドラマ『光とともに』はたまたま見ていたのですが、「光君とは全然様子も違うし、どこが自閉症?」等と思ったりもしていました。

もちろん、今ならば自閉症と言っても千差万別であり、人によって特徴が異なることもわかりますし、一方で一般に三つ組と言われる自閉症の根源的な特徴が(大小はあるにせよ)やはり息子にもあるな、という視点で見られるようになっています。とはいえ、それはそう簡単に身についたことではありません。たくさんの本を読み、療育機関に通い、同じ境遇の親と語り合い、療育機関に通ってくる少なからぬ子どもの様子を見続けた中で、多くの葛藤にさいなまれながら会得したものだと認識しています。

自分で言うのも何ですが、この過程はかなりしんどいもので、それを曲がりなりにも乗り越えてきたことは、評価に値するだろうと思っています。一方で、この経験から見れば、正しい「障害への理解」というのは、はるか遠い道であって、その全てを周囲の人に求めるのは見果てぬ夢なのではないか、と感じるのです。

自分だって必要に迫られて、多大な労力と少なからぬお金をかけてやっと少しずつ身についてきたことを考えると、それをそのまま周囲に求めることはできないというのも自明ではないでしょうか。

このあたりのサジ加減を誤っては、結局本来の目的である子どもの利益につながらないことになってしまいます。私は、完全な理解を求めるよりも、最低限抑えて欲しいポイントと、親の側がやっていることが正しい接し方である(=甘い、何もやっていないと感じられるのは誤解である)ことを、わかってもらうようにした方が、双方のストレスが減ると思いますし、そうなれば万々歳だと思っています。

そのストレスの低減こそが、心の余裕を生み出すことにつながります。当方の志が低いという非難は甘んじて受けます。でも、純粋な子どものように、障害を理解すべきだという思いは決して間違ってはいないとは認識しつつも、そこで疲れてしまったり、より強い軋轢を生じさせるよりは、多少のモヤモヤした気持ちは抑えて大人の付き合いを目指す方が、より良い結果を生むだろう、と経験的に感じています。

社会で生きるということは、主義主張を振りかざすことで達成できるものではありません。譲れない一線と損得を天秤にかけながら、幸せをより多く掴むことを目指す柔軟さが肝要ではないでしょうか。

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