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2012年6月

2012年6月28日 (木)

(339) 体の動き

たまたま、youtubeで発達障害関係の動画を見ていた中で、以下の動画が目に留まりました。

登場されるお子さんの体の動きが、息子とそっくりだなあと感じています。

発達障害は、どうしても言葉と社会性に注目が集まりがちとなります。それは、確かにそちらの方が目立つからですが、その陰に隠れて(いるわけでもないのでしょうけど)体の動きも独特のものがあるように感じており、それはそれで対処が必要だと思います。

特に、身辺自立課題に取り組む時には顕著で、ボタンを留める、箸を持つ、字を書く、はさみで切るといったような行動をする時に、隣の席の健常の子とは歴然とした差が出てくるところでもあります。

発達障害だとわかっていても、この部分では妙にスパルタになってしまう傾向の親御さんも少ないですがおられるようであり、子ども達も好きでそうやっているんじゃないし、苦手なことをできればやらずに済ませたいし、それでもやろうとしてうまくできていないということをきちんと受け止めてあげる必要があります。

もちろん、だからやらなくて良い、ということはありません。飽きたりやる気を失ったりする前に終わりにしつつも、少しずつ上手になってきていることを誉めて取り組ませていくようにすることが大切です。というか、そうするしかありません。

身辺自立については、小さい頃の方が誉めれば素直にやってくれますので、できるだけ小さいうちに、焦らずにやらせることが肝要だと感じています。

2012年6月23日 (土)

(338) 親ができること

(331) 療育機関の課題 で書きましたが、発達障害者向けの療育機関は、学年が上になるにつれて選択肢が減ります。

それに対して、療育機関側の課題について書いたのが(331)なのですが、大くくりに必要となる共通課題をクリアすると、段々個別対応が必要になるということについて、親はどのようにすれば良いのかを考えてみました。

当たり前ですが療育は、まず本人が中心にいて、親と療育機関が主導的な立場で関わります。更にスクールカウンセラーや主治医などのアドバイスを頂いたりしながら、在籍する学校の担任やクラスメートの子ども達との関わりも加わって、一人の子の療育環境ができ上がると認識しています。

特別支援学校や特別支援学級は在籍校ですが、通級指導教室はそうじゃないので学校側なのか療育機関側なのかの位置づけの問題はあるかも知れませんけど、私は療育機関側だと思っています。

このような枠組みの中で、全体をコーディネートするのは最終的には親の役割になるだろうと思います。この点では、親もきちんと参画しなければなりません。

ただ、親ももちろん書籍や講演会や療育機関からのアドバイスを頂いたりしながら知識を蓄えてそれなりに対応しようとするわけですけど、個別の療育の自分の子どもへの適否については、経験も少なく判断が難しいことも多々あると思います。

やはりそういうことは療育機関や主治医等のプロに任せる方がよく、それもできれば複数のプロからの意見を頂いて自分が納得できるものを取捨選択して採用していくことが必要になると思います。

では、親はただの調整役か? というとそうではないと思います。

親は、子どもに身近に普段から接する人間として、子どもの言動の変化について一番最初に気付く可能性が高い存在でもあります。従って、ちょっとした子どもの変化に気付くようアンテナを高めに張って、「おやっ?」と思うようなことがあれば、それを都度都度プロの人に伝えるということができます。

プロの方が子供と接する時間は、そう多くないはずです。少なくとも親に比べれば圧倒的に少ないでしょう。そして、プロの方はプロなだけに子どもとの接し方が上手であることから、子どもが彼らと過ごす際には、落ち着き安定した「良い子」として振舞うことができ(そのこと自体は良いことなんですけどね)てしまう。それゆえに、親が気づいた変化(特に良くない問題行動)を限られた時間では見つけられない、ということが往々にして起こってしまいます。

このように考えると、子の変化を見続けるという観察者の役割こそが親の第一義の役割なのではないかと思います。エエカッコシーな言い方をすればコアコンピタンスですね。もちろん、プロの指導に従った家での課題の実施というのもありますが、これは重みとしてはその次にくるものではないかと考えます。

子が成長して個別対応が必要となるからこそ、どのような状態でどのような言動をするようになるのかについてきちんと観察して伝えるという役割が重要になることはお分かり頂けると思います。「観察者なんて難しい」と思われるかも知れません。でも、赤ちゃんの頃から子どものちょっとした行動やしぐさを見続けてきたのは親です。寝返りを打てるようになった、ズリ這いができるようになった、歯が生えてきた…という変化をずっと見てきたのは親であるあなたではないでしょうか? それほど難しいことではありません。ちょっと意識するようにしただけで、きっと多くの気付きを得られるようになりますよ。

2012年6月16日 (土)

(337) 友達と遊ぶ

昨日、息子が帰宅してきた時に、「45分から○○君と一緒に遊ぶんだ~heart04」と言ったそうです。息子が親の介入なく単独で学校の友達と遊ぶ約束をしてきたのは、おそらく初めてのことではなかったかと思います。

妻がビックリして当方にメールしてきて、当方も同じくビックリ。妻は、本当かどうか確かめるため、待ち合わせ場所までイソイソ出かける息子の後を、コッソリつけていったくらいcoldsweats01

それはウソではなく、○○君に加え△△君もやってきて、一緒に遊んだそうです。内容は、近所の公園で自転車で追いかけっこのようなことだったようですけど・・・

何はともあれ、こんな日が予兆も無く突然来るなんて、驚きとともに嬉しい気持ちです。

但し、一方でこれが「最初の最初」なのか「最初で最後」なのかはまだわからないなあという冷静な気持ちも失ってはおりません。お世話係りだった子の怨み節をネットで見たりすることもあって、その子達に負担になるようだったらそれはいけないなあという気持ちもありますし。

それでも、最初の一歩を踏み出すことができた息子を誉めたいと思いますし、もしそのための支援ができれば、それはやっていこうと思います。

○○君、△△君、ありがとう。

2012年6月13日 (水)

(336) 周回遅れでも

春の運動会シーズンも一区切りついて、学校も落ち着いてきたようです。でも、今回の話題はそういうことではありません(笑)。

発達障害の子は人との関わり方、即ち社会性に問題があるのは今更私が言うまでもなくご存知のことだと思うのですが、では彼らがずーっと何もできないか? と問われればそれも違うと思うのです。

確かに、健常の子のようには成長しませんが、健常の子よりは遅く、場合によってははるかに遅くなるものの人との関わりの芽が出てくることがあるようです。

しかし、健常の子はほぼ似たような時期に芽が出てきてお互いに影響を与えながら太くたくましく育つのに対して、発達障害の子は、芽が出た時には周囲は育ってしまっていてその芽を適切に伸ばす関わりを持つことは極めて困難となり、場合によってはその芽が死んでしまうことにもなってしまうようです。

春蒔きの種を春に蒔けば芽が出ても季節に従って育つのに、秋に芽が出てしまったらどうなるかを考えれば自明だと思います。

それを防ぐのが周囲の好意的な関わりであり、療育だと思うのです。いわゆる温室栽培になってしまって天然モノに比べればヒョロッと弱々しい頼りない芽かも知れませんが、何とか春を目指して維持成長させていくことがまずは大事だろうと思います。

健常の子の芽よりも小さく弱い芽であることは否めません。しかし、健常の子の芽もいつまでも大きく育ち続けるわけではなく、ある程度のところで成長は収まってきますし、その7掛けでも6掛けでも育てることができれば、何とか社会でやっていくことができるのではないか? というのが私の考えていることです。

運動会の長距離走で、どうしても遅い子がいて周回遅れとなることもあります。運動会では、そういう子に対して観客が応援の拍手で応えるはずです。同様に、発達障害の子にも応援の視点で接してもらえないだろうか? と思うのです。

不適切に関わることによって発達障害の子が世の中を嫌い厭世的な人間にしてしまうようなことは何としても避けるべきですし、そうすることが、自分達にとっても利益になることを理解してもらいたいなあと切に思います。

発達障害に対する社会的な認知を広げ、適切な関わりを増やすことで、無用の軋轢を防ぐことができるわけですから、もっとそういう取り組みが広がると良いなと感じる一方で、昨今の親学をめぐる動きを見ると、まだまだだなあとちょっとがっかりもしています。

2012年6月 9日 (土)

(335) 家族の健康2

今回は、療育に関係あることをあまり書いてはいないことを最初にお断り致します。

先週の記事を書いた時には全く想像していませんでしたが、近所で親しくしていた方が急逝しました。私よりも若く、バリバリと仕事をこなしていた方の突然の訃報に、かなりショックを受けています。

仕事がきつかったりすると「死にそうですよ~」等と軽く言ってしまうことはあると思うのですが、仕事が原因かは不明なもののリアルに人が死んでしまうという現実を目の当たりにして、これまでの自分の生き方を考え直さなければいけないかも、と思うようになりました。

忙しいと言いながらも、休日にはマメにお子さんと一緒にいる時間を楽しむ子煩悩なお父さんであり、このような事態になって一番残念に思っているのはご本人であろうと確信しています。

もし自分がそうなってしまったら? と考えると、当座は生命保険金も入るし退職金も入るからまあ何とかなるわなあとは思うものの、それがいつまでもあるわけでもないし、一方で息子の療育を自分でやるにしても療育機関に連れて行くにしても、それなりに時間を取られてフルタイムで働くことはできないだろうから、いずれ生活と療育のどちらに重点を置くかの選択を迫られる時がやってくることになるのではなかろうか、というのが結論です。

それにも増して、これまでも、息子の療育のあり方については夫婦で相談しながらやってきていたのに、今後は妻が全てを一人で決めていかなければならないということとなると、それなりにプレッシャーも大きくなるでしょうから、自身のケアも必要になってきますね。

少なくとも、わざわざ現在の我が家の家族状況を理解して再婚してくれる人というのも期待しづらいでしょうし、自分は草葉の陰からかなりやきもきして行く末を見守ることとなるでしょう。

「SAFETY FIRST」、いわゆる安全第一ですが、安全と健康は表裏一体のものです。そう考えれば、加齢によって自身の健康に不安を感じるようなことがもしあれば、早期にかつ徹底的に原因を究明して早めに対処することで未病のうちに処理する、もし病気リスクが発現したら、堂々と戦線離脱をして治療に専念することが大事だと改めて思います。

健常日本人の美徳であり安心の元である「みんなと一緒に滅私奉公」によって命を縮めては、元も子もありません。優秀なパイロットが死に急いだ結果、体当たりしかできなくなった先の大戦の反省を踏まえ、生きることを遠慮してはならないと思います。

末筆ながら、ご冥福をお祈りしております。

2012年6月 3日 (日)

(334) 家族の健康

先週木曜の夜から妻が腹痛を訴え、金曜日の朝になってそれが更に酷くなったことから、病院に行って検査を受けてきました。

血液検査で炎症が起こっていることはわかりましたがレントゲン、エコーとやってわからず、CTによってどうやら腸が炎症を起こしているということがわかり、抗生剤を処方されて帰ってきました。ただ「これで様子を見ましょう」ということであり、それでよくならなければ別途対応を考える、ということのようです。

当方は、とりあえず子ども達が幼稚園・小学校から帰って来るのに間に合わせて金曜日の午後はお休みして帰宅して、とりあえずただ自宅にいる、という状況ではありましたが、もしもこのまま入院ということになったらどうするんだろう? というようなことを考えてしまいました。

もし本当に入院ということになると、今のような残業も辞せずというような働き方はとてもできなくなります。そもそも朝は娘の幼稚園への送りがあって定時出勤も無理となり、時差出勤は会社に申請してできても今度は帰宅時間が遅くなります。また、定時にあがっても帰宅は18時半以降になるところ、時差出勤でもっと遅くなってしまいます。

私の会社は、出産前後の時間短縮勤務というのは認めてくれていますが、幼稚園児までは認めてくれておりません。

実家の両親は双方とも存命ではあるのですが、健在とは言い難く、兄弟は皆地方で家庭を持っていますのでその助力を仰ぐことはできません。ご近所さんにすがるのも限度がありますし、こうなると家政婦さんを雇ってということになりますが、かなりの出費になる以上に息子との相性がどうなのかによって成否にかなり影響が出るということが気になってしまいました。

最後の手段は有休を全部使い、それでもダメなら休職も辞さずということになるのかなあということになりますが、先が見えない中ではこれは本当に最後の手段だな、と思います。

このようにつらつらと考えてみると、家族が健康でいることって今更ながらに大切だということを再認識しました。

療育に熱心に取り組んで燃え尽きてしまう方も残念ながらおられるようですが、まず家族が健やかでいることが何よりも大切だと声を大にして申し上げたいと思います。

2012年6月 1日 (金)

(333) 運動会(3年生)

先週の26日(土)に開催された今年の運動会も、何とか無事に終えることができました。

正直なところ、毎年この頃になると「憂鬱な運動会の季節がやってきたなあ」という気持ちになってしまいます。
出たトコ勝負というか、当日息子がどのような「不規則」発言や行動をするのかが気がかりで…。

3年生になって息子の態度で変わってきたなと思うことは、自分が苦手なことをかなり拒否的に捉えるところかなあと。運動もそのひとつであり、それを何とかなだめすかしてやってきているという感じです。

今回、息子は3種目に出ました。徒競走、綱引き、踊りです。

この中で、最大のネックはもちろん踊りです。
この点について、担任の先生は踊りの練習DVDを作って下さいました。日ごろから息子のことを意識して気にかけて下さっていて、本当にありがたかったです。

息子は「苦手なことをかなり拒否的に捉える」と先に書きましたが、踊りももちろんそうです。妻が練習に誘って一緒にDVDをやろうとしても、おふざけしてしまいます。ふざけて自分の苦手と直面しないようにするという息子なりのプライドの保ち方なのでしょうけど、それをそのまま許すわけにはいきません。

妻は、「ちゃんとやったら1回で終わるから、1回だけちゃんとやろう。ちゃんとやらないと何度でもやるよ」という誘い方をしました。息子の頭の中でどのような損得勘定が働いたかはわかりませんが、これできちんとやろうという意識が芽生え、練習もちゃんと1回だけやるようになりました。

このような努力を経て、当日は「まあ、あれだけできれば十分」と思える仕上がりをみんなの前で披露することができました。

ただ、最後に伏兵がいました。それは閉会式の校長先生の挨拶でした。

1年生から6年生まで全部講評をはじめてしまい、長い挨拶に焦れた息子はキョロキョロしたり、後ろを向いて後ろの子にたしなめられたりしていつ「ぼく、帰りたい」と言い出すかと気が気でなかったです(結局、そうはなりませんでしたけど)。学校全体を見守る校長先生というお立場ではありますし、ある学年だけピックアップするとそうされなかった学年に対して申し訳ない、もしかしてモンスターペアレントから抗議されるのでは…という気持ちになるのは仕方ないのですけど、他にもっと話しようはなかったかなあと思います。

実際、残念ながら息子は以前、朝礼の際にそのような言動をしたことがあり、その時以来「思うことはいいけど、口に出してはダメ!」という指導をしてきたのが奏功したようです。

まあ、面従腹背を教えるってどうよ? というツッコミはあると思いますけど、これも大人になるためのソーシャルスキルですよね。

幼稚園時代は年により出来不出来の波がありましたが、小学校に入学してこれまで3回の運動会は何とかなってきています。息子の更なる成長を見守りたいと思います。

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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