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2012年5月26日 (土)

(332) 言葉の伸びに思う

自閉症とアスペルガー症候群は、知的能力に加えて幼少期に言葉の遅れがあるかどうかで区分されています。よって、自閉症の中で知的能力に障害が無かった者については高機能自閉症とされ、アスペルガー症候群とは区分されることとなります。それについては、必ずしもその区分は必要ないとする説も根強く、それぞれを主張する学者が両立する状態となっております。

私的な見解ですが、発達障害の出方はそれこそ千差万別であり、細かく分類することにどれほどの意義があるんだろう? という疑問の方が強くあります。

主治医からは、「息子君は、言葉が伸びるともっとできることも増えるだろう」と言われています。しかしながら、言葉が伸びると…という前提はどうしたものやらと考え込んでしまいます。

思えば、中々言葉を発しないことが息子の障害を疑うきっかけではありました。「男の子は言葉が遅いというし、そのうちしゃべりだすだろう」と思っているうちに3歳となって、さすがにこれはまずいのではないかと思って、意を決して児童相談所に相談に行っても「様子を見ましょう」で終わり。何かできることはないかと考えあぐねて絵本の読み聞かせをやったところ、少しずつ言葉が増えてきて、これなら何とかなるかな、と思ったところで自閉症の診断を頂くこととなりました。

その後、特別支援学校に設置された未就学児を対象とした「ことばの教室」に通ったりしていましたが、結果としては劇的に伸びた、という印象はありませんでした。

このような経験があるので、具体的に何をすれば言葉を伸ばすことにつながるのか、ということに確信が持てないでいます。絵本の読み聞かせは、まあ効果があったなあと思いますし、診断後に与えた五味太郎さんの言葉図鑑 は語彙を増やすのに役立ったとは思いますけど…。

幼児期を過ぎた今は、自分で本を読み、たまに親も知らないような単語を口にしたりします。語彙はそれほど少ないわけではないと思う一方で、自分がなぜそれをやったのか、という理由を説明したり、時間の経過を追って話したりということはまだまだ苦手で、親が回答しやすいように質問をアレンジしないとまだまだ明確に意思を表示することができません。それでも、親にできることと言えば、そういう手助けした会話を続けることしかないなあと思っています。

ちなみに、昔通った「ことばの教室」では、むしろきちんと体を動かすことの大切さを再認識しました。「ことばの教室」でありながら運動の時間も結構あって、どうしても親の気持ちは言葉に向いてしまうことから「どうして運動なんかやるんだろう?」と思っていたのですが、曲がりなりにも話せるようになってみると、今度は体の動きのぎこちなさが目に付き、運動ももっとやらせておけば良かったのかもと思うことがあります。言葉以外にも不得手・苦手な部分がある、という子どもの全体像の把握が当時はまだできていなかったなあと反省しています。

今、遅ればせながら体操教室で不器用ながら一生懸命に取り組んでいる姿を見て、もっと良いやり方がなかったかなあという反省と、できる限りのことはやってきたという思いが交錯します。ベストって中々難しいとはわかっているのですが…。

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