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2012年4月

2012年4月25日 (水)

(325) 偏食の改善状況

発達障害のある子で何でも食べる、という子は少数派だと思います。

ある程度大きくなって、周囲の言っていることを認識できるようになって、「何でも食べないといけない」という教えが頭に入ったために、今度はその教えに従わないと気が済まなくなって何でも食べるようになった、という子もいるのかも知れませんが、普通は「○○しか食べない」「その○○でも、△△社のものじゃないとダメ」というような例も聞きます。

(277)で書いた息子の偏食のその後の状況として、まだまだだな…と思うのは、例えば某乳酸飲料は、プロ野球球団を持っている会社のものじゃないとダメだったりします。似たような製品は他にもあり、昨今はスーパーのプライベートブランド製品もあったりして、そちらの方がかなり割安だったりするんですけど、ダメですねえ。家計に厳しいですbearing

トマトは相変わらず食べないですし、基本的にサラダ系は相変わらず親が「一口だけ!」と言ってシブシブ口にするというような感じです。

次に、マシになった点について触れてみます。

基本的に味が混じることを忌避する傾向が強かったのですが、タマゴサンドだけしか食べなかったのが、ハムタマゴサンドでもOKになったり、チーズも単体だとまだダメですが、ピザなら食べられるようになったり、と少しずつですが範囲が広がりつつあります。

マグロの刺身も、以前なら見向きもしなかったのが一口だけは食べてみるようになったり、と興味を持ってチャレンジする姿勢が見られるなど、小さい頃の激しさがかなり緩和してきています。

昔、療育先の先生から「偏食指導は特段しなくても良いです。改善しますから」と言われたのですが、当時は半信半疑でした。でも、今はなるほどと納得しています。

もちろん、足りない栄養素は他で補うようにするなどの努力はするべきだと思いますが、そのことで思い悩む必要性は、少なくとも他の問題行動よりも低いと考えます。

障害児を育てていると、偏食だけでなく、いろいろな課題があることと思います。今だけを見ていると先行き不安になって悲観的になりがちですけど、昔に比べたらマシになっている点はきっとあると思います。

親があれこれ気を揉んでも、どうにもならないこともある一方で、特段何かしたわけでもないのに気がついたら良くなっていた、ということも多くなります。

悪くなろうと思って育つ子はいないですし、自らの育つ力も信じることが必要だろうと感じています。

2012年4月21日 (土)

(324) 普通学級での様子

学校が始まって2週間が経ちました。

息子は、週5日のうち1日は通級指導教室に通う一方、残りの週4日は普通学級に通っています。

予想された登校渋りは早々に解消しましたが、クラスの中での様子を聞く限り、まだまだだなあとちょっと残念に思います。

学校側の配慮もあって、息子の席の周囲には「支援」をしてくれそうな子が配置されているようです。そして、その子達がうまくできない息子に「○○しないとだめだよ」「ここはこうやるんだよ」等と教えてくれているそうなのですが、息子は「分かってる!」「うるさいなー」等と反抗的な態度に出ることが少なくなく、双方にストレスが溜まっているらしいことを担任の先生から伺いました。

親としては、そうやって手を差し伸べてくれている子の存在は心底ありがたく、手を合わせて拝みたいくらいの感謝の気持ちで一杯で、それに対して不遜な態度を取る息子のバチ当たり加減に、障害特性はあるとしてもやはり忸怩たる思いを抱えてしまいます。

とはいえ、息子の立場に立てば、気持ちの切り替えがすぐにできないから「○○しないと…」と言われてもすぐに取り掛かれないし、同級生にあれこれ指示されることは、やはりプライドが傷つくことなのでしょう……でも、放置していて良いわけでもありませんし……。

そんな状態ですが、一方で「クラスで某君と遊ぶのは楽しい」というようなことを妻に言ったりもしているようで、1人遊びしかしていなかった頃から考えると長足の成長を遂げている部分もあったりします。やはり、少しずつでも確実に成長・進歩してきているんだなあと感じます。

取り合えずあと1週間でGWです。まずはその一区切りまで頑張ってもらいたいなあと思っています。

2012年4月14日 (土)

(323) 今年度の通級指導教室

通級指導教室の保護者懇談会が過日行われ、妻が行ってきました。

まずは、今年も選に漏れずに通えるようになったことを寿ぎたいと思います。「だいぶ改善が見られますので、今年度はもう…」と言われることは残念ながらありませんでしたw 普段の様子を見る限り、ゆめゆめそんなことはあるまいと思ってはいましたけど。

妻から聞くと、更にクラスメイトが増えたようで、仲間が増えて良かったと言うべきか、はたまた今後段々支援の対象者が増えて、いずれ対応しきれなくなりつつあるのかも…と不安になるべきか判断つきかねるところはありますが、支援が必要だと思われる子に対してきちんと支援の手が差し伸べられるようになったことは、良いことなんだろうと思うようにしています。

これまでの様子を見ていて痛感する今年の息子の課題は、自分の気持ちをコントロールすることだな、と思っています。一人遊びばかりではなく、友達とゲームをすることも少しずつできるようになってきているのですが、今度はゲーム(の一部分)にかなり熱中することでまさに「アツく」なってしまい、本来ゲームの中でやるべき行動ができなくなってしまう、という点が段々顕著になっています。

例えば、ドッチビー(フリスビーでのドッチボール、と言えばお分かりになるでしょうか?)をやっていると、あたって外に出なければならないのに出ることを納得できなかったりする、フリスビーを取ることに熱心になり過ぎて投げることに気持ちを切り替えられない、簡単に言えば取ってすぐに投げられない(その間に、敵チームは十分な離隔を確保してしまう)というようなところがあって、こういうところを伸ばしていくことが課題だなと思っています。

懇談会は、全学年がそろって行われるため、そこで息子と同じ小学校に在籍する子の保護者もおられたので、妻はご挨拶や情報交換をしてきたりしたそうです。

少しずつ、少しずつではあるものの確かに成長してきていることや、普通学級よりも通級指導教室の方が本人も気に入っていることもあり、こちらに継続して通うことで、きっと来年の今頃にはできるようになっていることも増えている、と信じて今年度も頑張りたいと思います。

それにしても、通級でやっていることって、例えばクラブ活動の一つとして選べるようにならないものかなあ、と思ったりします。今年は3年生なのでクラブ活動はまだ無いですけど、上級にあがった時に、本人には恐らく不向きなクラブ活動をイヤイヤ行うよりは、時間の有効活用につながるだろうと思われますので…。

通級については、今後も深化とバリエーションの増大が図られると良いな、と期待しています。

2012年4月11日 (水)

(322) 特別支援学級・学校選択をためらわせるもの(4)

最後に、実は 特別支援学級・学校に通っている子供本人が、そこに行くことを嫌がるようになることが珍しくない、という事実を忘れてはいけないでしょう。子供はいつまでも子供ではありません。成長するにつれて、自分の置かれている環境が一般的なものではない、ということに気付く時が来ます。その時に、その子の成長度合いにもよりますが、「特別」であることに負い目を感じ、普通でありたいと願い、特別支援学級・学校に行きたくない、と言い出したりすることが現実にあります。

ただ、そこでは先述の通り、特別支援学級・学校から普通学級に変更するのにかなりの困難を伴います。このあたりは自治体によっても差が出るところだとは思いますが、それが実際にできた事例はそれほど多くはありません。

裏を返せば、発達に凸凹がある子が加齢に伴い全く健常児と同様の行動を取れるようになる、というようなことはかなり稀であり、マシにはなっても基本的に何らかの特別な支援が必要となる、と考える方が現実的である、という事実もあります。学校・教委側もそのことを心配して普通学級への転籍に危惧の念を抱いてしまう、ということは悪意に取るべきではないことだと思います。

つらつらと書いてきましたが、この「特別支援」を語る上で、親や期待する支援像と実際に学校が提供する支援像のミスマッチが存在することは、もっと注目されて良いと思います。

特に、親は子が支援を受けて成長するうちに普通の子に近くなるという幻想を抱いていて、学校側は障害者として生きていけるような身辺自立とソーシャルスキルを身につけさせることに主眼置いているという点だけで見ても、見ている方向がかなりズレていることがわかると思います。

こういうことについて、もっと両者の意見をたたかわせ、すり合わせる機会を作っていくことが必要なのではないかな、と感じています。そうしない限り、いつまでも両者の隔たりは埋まりませんから。

2012年4月 4日 (水)

(321) 特別支援学級・学校選択をためらわせるもの(3)

さて、ちょっとひいて考えてみましょう。

今、ノーマライゼーションの流れに乗って、障害児も健常児も一緒に学ぶインクルージョン教育を主張する方が増えています。

この考え方からすると、現在設置されている特別支援学級・学校が最適となる子はいない、ということになるはずです。最適だと感じている子もいるのに、それをやめろというのは論理矛盾だからです。

でも、本当にそうでしょうか?

特別支援学級がその子にとって最適である、あるいは特別支援学校が最適であるということは私はあると思っています。

普通学級は在籍児童数も多く、担任の先生の手がどうしても及ばないことが多くなる、というのもありますが、何よりもたくさんの子ども達の発する音や行動を過敏に受け取ってしまう傾向のある子にとって、普通学級は刺激が強過ぎて居づらい場所となってしまいます。これは、居続ければいずれ慣れる、というものではありません。毛虫が腕の上を這いずり回るのを慣れることができないのと同じです。

私はこのブログの中で、何回かインクルージョンに対して取り上げ、一貫して否定的な立場を取っています。それは、逆に大多数の健常児であっても彼らを普通学級でひとくくりにすることに対して大いなる疑問を感じているからです。

もっと大きなくくりで言えば、子どもは全て独特の個性を持っていて、障害・健常の区分だけで最適な環境を判断して与えることなどできない存在である、ということです。普通学級の子はみんな同じ個性を持っているでしょうか? 体育も図工も音楽も算数も国語も皆同じようなでき具合ですか? 

ひょっとしたら図工だけなら特別支援学級に在籍している「ある子」の方が普通学級のどの子よりも上手かも知れません、暗算だけなら特別支援学校に在籍している「ある子」がすさまじくできたりするかも知れません。そういう学習内容の部分部分で能力が重なる子を集めて授業をできたら、それはきっと今の雑な輪切り状態よりも理解度も満足度も高い状況を招来できると思います。

現実には、そこまで細かくアセスメントをやることなんてできないよ、と言われて終わってしまうことになるのも分かってはいますけど、理想はこうなんじゃないかな、と思ってしまうのです。

それが無理だとして、なおはっきり言えるのは、インクルージョン教育と称して同じところにいたとしても、それだけでは無用な混乱と相互不信を招くだけです。そのような環境を作るだけではなく、適切な介入を行い、本人の能力を引き出す支援を行うノウハウを身につけた人を必要数配置するということまでやらなければ、単なる大人の自己満足で終わってしまいます。そんなことでは、結局双方にストレスが溜まるだけという最悪の結果になるのではないかと危惧しています。

詰まるところ、支援のノウハウを身につけた人の絶対的な不足が、 特別支援学級・学校選択をためらわせる根本の原因ではないかな、と感じています。

では、どうするかということになりますが、ちまたでは民間でセラピストとしてそこそこの額の報酬を取って活動している人も少なくありません。それだけのニーズと価値のあるものであるならば、学校の先生に「先生なんだから」と無限の義務を課して何ら処遇もせずに頑張って身につけろというのはアンフェアだと思います。

きちんと学んだ人をきちんと処遇する。そういう姿勢を明確にすれば、1~2週間の講習でお茶を濁すような人を使わざるを得ない状況も減っていくはずです。

将来の障害者年金負担を思えば、ここで先生の処遇を改善しても見合うと思うのですが、いかがでしょうか?

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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