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2012年4月 4日 (水)

(321) 特別支援学級・学校選択をためらわせるもの(3)

さて、ちょっとひいて考えてみましょう。

今、ノーマライゼーションの流れに乗って、障害児も健常児も一緒に学ぶインクルージョン教育を主張する方が増えています。

この考え方からすると、現在設置されている特別支援学級・学校が最適となる子はいない、ということになるはずです。最適だと感じている子もいるのに、それをやめろというのは論理矛盾だからです。

でも、本当にそうでしょうか?

特別支援学級がその子にとって最適である、あるいは特別支援学校が最適であるということは私はあると思っています。

普通学級は在籍児童数も多く、担任の先生の手がどうしても及ばないことが多くなる、というのもありますが、何よりもたくさんの子ども達の発する音や行動を過敏に受け取ってしまう傾向のある子にとって、普通学級は刺激が強過ぎて居づらい場所となってしまいます。これは、居続ければいずれ慣れる、というものではありません。毛虫が腕の上を這いずり回るのを慣れることができないのと同じです。

私はこのブログの中で、何回かインクルージョンに対して取り上げ、一貫して否定的な立場を取っています。それは、逆に大多数の健常児であっても彼らを普通学級でひとくくりにすることに対して大いなる疑問を感じているからです。

もっと大きなくくりで言えば、子どもは全て独特の個性を持っていて、障害・健常の区分だけで最適な環境を判断して与えることなどできない存在である、ということです。普通学級の子はみんな同じ個性を持っているでしょうか? 体育も図工も音楽も算数も国語も皆同じようなでき具合ですか? 

ひょっとしたら図工だけなら特別支援学級に在籍している「ある子」の方が普通学級のどの子よりも上手かも知れません、暗算だけなら特別支援学校に在籍している「ある子」がすさまじくできたりするかも知れません。そういう学習内容の部分部分で能力が重なる子を集めて授業をできたら、それはきっと今の雑な輪切り状態よりも理解度も満足度も高い状況を招来できると思います。

現実には、そこまで細かくアセスメントをやることなんてできないよ、と言われて終わってしまうことになるのも分かってはいますけど、理想はこうなんじゃないかな、と思ってしまうのです。

それが無理だとして、なおはっきり言えるのは、インクルージョン教育と称して同じところにいたとしても、それだけでは無用な混乱と相互不信を招くだけです。そのような環境を作るだけではなく、適切な介入を行い、本人の能力を引き出す支援を行うノウハウを身につけた人を必要数配置するということまでやらなければ、単なる大人の自己満足で終わってしまいます。そんなことでは、結局双方にストレスが溜まるだけという最悪の結果になるのではないかと危惧しています。

詰まるところ、支援のノウハウを身につけた人の絶対的な不足が、 特別支援学級・学校選択をためらわせる根本の原因ではないかな、と感じています。

では、どうするかということになりますが、ちまたでは民間でセラピストとしてそこそこの額の報酬を取って活動している人も少なくありません。それだけのニーズと価値のあるものであるならば、学校の先生に「先生なんだから」と無限の義務を課して何ら処遇もせずに頑張って身につけろというのはアンフェアだと思います。

きちんと学んだ人をきちんと処遇する。そういう姿勢を明確にすれば、1~2週間の講習でお茶を濁すような人を使わざるを得ない状況も減っていくはずです。

将来の障害者年金負担を思えば、ここで先生の処遇を改善しても見合うと思うのですが、いかがでしょうか?

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教育制度・環境」カテゴリの記事

コメント

本当に、双方をただ一緒にすればそれでいいって言うのは、絶対あり得ませんよね。
うちの子は、何をするにも手がかかり、自閉の症状も強いので、いわゆる健常児の子と一緒に何かさせようとすると、本当に大変です。だいたいいつもうまくいかないです。
間に立つ私は、いつもぐったり・・。

でも、息子を見ていると(あくまでも息子の場合ですが)、息子は、どういう形であっても、子供達の中にいることに、強い願望のようなものを持っているように思います。
ほとんど本能といってもいいくらいで、子どもというのは、子どもの中で一緒に何かするときに、親では決して与えてやれない輝きを放つのだなと思います。
大げさに言えば、息子の生きるエネルギーの源は、ここにあるのだろうと思ったりもします。

大切なことは、障害に対する深い理解もそうですが、もしかすると、それ以上に、深い人としての理解・愛情なのかもしれませんよね。
これは、1,2週間の講習では、習得できないかもしれませんが、意外と現場で身につけていくものなのかもしれません。勘の良い人悪い人、先生にも、向き不向きがあるでしょうから。

そういう意味でも、失敗を怖がらずに(かつ慎重な姿勢を忘れずに。相手は生身の子どもですから。)、可能な限り、交流の機会を設けてもらいたいと強く思います。そして、間に立つ立場の方にも、研鑽を積んでもらいたい。

こうした草の根的な地道な努力が、各地で続けられたなら、息子のような自閉症児も、少しでも生きやすい社会になってくれるんじゃないか、そうなってほしいって、心から思います。

すみません。つい、語ってしまいました・・。

あずさま

コメント頂きありがとうございます。
「先生にも、向き不向きがある」というのは、ご指摘の通りだと思います。

ただ、そこを「不向きだからダメ」と否定的に捉えるのでは、その先生の個性を理解していないことになります。障害児親は、えてして要求する時と自分の子を見る時で、ダブルスタンダードになってしまうことがあるので、自戒するように心がけています。

できなくても、興味を持って見守ってもらう、これができるだけでもだいぶ違うと思っています。だから、「草の根的な地道な努力が、各地で続けられたなら、息子のような自閉症児も、少しでも生きやすい社会になってくれるんじゃないか、そうなってほしい」というあずさんのお気持ちは、全く同意します。

きっと少しずつ進んでいくと思いますよ。

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