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2012年3月17日 (土)

(318) 親同士の交流

療育の教室に息子を連れて行くと、待合スペースでその前後のコマのお子さんの親とカチ合うことがあります、というよりも、その方が普通です。

療育教室では、子どもへの指導の前に親から先生に今日・あるいはここ数日の子どもの状況をお話しする、また終わった後に今度は先生から親に今日の成果を伝える、という形式で行われるのが普通なので、そのような状況になり勝ちです。

8割以上は子どもをお母さんが連れてきている状況であり、お父さんである私が話しかけることはなかなか難しいです。その逆もあまりないのですが、たまに妙にフレンドリーな親御さんがいたりします。きっと、赤ちゃんを見てあまり知らない人でも「あら可愛いですねえ」と話しかけることができる特殊技能を持っているんじゃなかろうかと感じていますが

そうすると、まあこちらも頑なに会話なんてするもんかと思っているわけではないので、お話させて頂くこととなりますが、結構地域周辺の特別支援学級・学校の評判とか、他の療育先のうわさとか、すごくよく知っていらっしゃることに驚かされます。

どこそこの支援学校の就職率はすごく高いとか、○○小学校の△△先生は指導が上手だとか、よくご存知なんですよね。素直に恐れ入ってしまいます。フレンドリーなキャラだと情報も集まるんだなあと感心しています。

一方で、どう見ても昔ヤンチャだっただろうなあという親御さんにお会いしたこともあります。でも、意外に(と言ったら失礼ですけど)熱心なんですよね。自分の親との関係があまりうまくいかなかったからこそ、育児に熱心になっているのだろう、と受け止めていますが。

考えてみると、療育先の親はたまたま自分の子どもがそういう系統の子であった、という以上のつながりは元々はなくて、そこに来るまでの足跡は千差万別なんですよね。

こういう経験って、自分が自動車の運転免許を取った合宿に似ているな、と思います。そこに集まる人はいろいろいるし、過去に何ら共通点はないけれど、一部ではあるが同じ環境を共有して同じ方向を向いて頑張っている、というものです。

こういう関係は、維持するのに少なからぬエネルギーを必要とします。気の合う仲間同士、というわけではありませんから。ちょっと例えが悪いかも知れませんが、「被害者の会」なんていうのも途中で運営がうまくいかなくなったりするのはこういうところに原因があるのではないかと感じています。

でも、同じ悩みを持つ人間同士での支え合いは絶対に有益で必要なものだと思います。むしろ、うまくいかなくて当たり前くらいの割り切りを持ちつつ、それでも少しずつ交流していこうという姿勢をお互いに取って行くことが大切なのだろうなあと思います。

同病相憐れむと言うのはネガティブ過ぎる表現ですが、そういう中で一人二人は自分に合う人はいるはずで、そういう人と末長く付き合っていけたらそれで十分だ、と考えてはいかがでしょうか。

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