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2012年2月

2012年2月26日 (日)

(314) 風邪⇒学級閉鎖

息子が風邪で学校を3日お休みし、さあやっと行けるようになったら今度は学級閉鎖となってしまいました。息子はトータルで春休み並みのお休みを頂いてしまったこととなります。

学校が再開すればまた登校渋りが出るかも知れません。ただ、取り合えず今の様子を見る限りにおいて、かなり元気になって快活さを取り戻している部分も確かにあります。やはり学校に行くことがストレスになっているんだなあということが窺えます。もちろん、だから不登校になっても良いということはありませんが・・・。

我が家では、風邪をひいてお休みしている間は、パソコンでのゲームを禁じました。休むことでデメリットがあることを教えないと、休むことが強化子なってしまうからです。

今回はそういうルールを設定されても聞き分けしてくれるようになりました。ルール作りをしたことだけが奏功したわけではないと思いますが、療育の先生とお話しすると、親が気づかない息子の内面の成長を指摘されたりしていることもあって、遅くとも確実に(slow but steady)進歩していることを嬉しく受け止めています。

もう1ヶ月で2年生も終わります。かなりの確率で、息子によくしてくれた担任の先生ともお別れすることとなるでしょう。加えてクラス替えもあるでしょう。そういういろいろなことがまたやってくるなと思うと正直どうかなあと考えてしまう部分もありますが、こればかりは乗り越えていくしかないのでしょうね。

それ以外でも、療育先でご一緒していたご家族が転勤でお別れすることとなりました。いろいろな人との出会いと別れ、そしてそれにともなう「いろいろ」がこれからもあるかと思いますが、動ぜずにやっていくしかありませんね。

2012年2月18日 (土)

(313) 弱っています

息子は、この週は水曜日から熱を出して学校をお休みしてしまいました。

幸い、インフルエンザの検査では陰性だったのですが、熱が38℃~39℃で推移してたまに37℃台に下がることはあるものの、残念ながらまだ継続しています。

本当なら今日は都電に乗って遊びに行く予定にしていて、それを楽しみにしていたのですが…これはしょうがないですよねえdown

登校しぶりの時に、ちゃんと行ったらシールを貼って5枚貯まったらささやかながらプレゼントをあげるという方式に切り替えて、極めてうまく行きかけているのですが、今度はそれが足かせになって、熱があるのに「学校に行く!」と言い出して、行けないことがストレスになって病気と相まって不機嫌になるという、ジレンマに陥っていますbearing

まあ、いつまでも寝込んでいるわけでもないでしょうし、今は耐えるところなんでしょうねえ。

(312) ゆるやかな相互理解

インクルージョン教育について、これまでも何回か書いてきています((210)(233)(276) )が、これについてもう少し考えてみました。

これって一つの社会の中で生きていくことを前提にしていて、だからこそ取り組もうとしている教育なんだよな、ということに思い至りました。

「当たり前じゃん! いずれ出て行く社会は一つしかないんだから」という突っ込みはあると思います。基本的には私もそうなんだろうなと考えてはいますが、これが強迫観念となっているとしたら、ちょっとそれは違うんじゃないかな、という気もします。

例えば、完全に別の社会を構成する方向に社会が進むとしたら、どうなんでしょう? それでもなお、インクルージョン教育に取り組むべきだということにはならないように思います。少なくとも「must」ではないでしょう。

とはいえ、健常者同士の子が必ず健常か? と言われれば明確にNo!です。一定の割合で障害を持つ子が生まれてくるのは厳然とした事実です。従ってその子達を別の社会に隔離するようになってしまうような社会ができあがってしまいますが、こういう社会はかえってすごく重苦しい雰囲気になるだろうことが予想されます。

そして、そのうちに障害児(者)だけじゃなく、より弱い人たちに矛先が向かうようになることにもなるでしょう。常に戦場にいるかのような緊張感を持って生きていくのはシンドイですよね。だからこそ、相互の違いを受け入れ一つの社会を構成するものとして理解しあうことが必要になるのだろうと思います。

ただ、そこで逆に完全に理解しあわなければならない、と思い詰めないことが大事なんだろうと思います。

純理論的に突き詰めて議論しあうのは不毛で、それこそ一つの社会を構成する者同士、相互の考えを尊重しつつ折り合いをつけていくべきなのでしょう。歯切れは悪いんですけど、どちらかに偏る方がいずれもよろしくない結果を招くように感じていますので。

2012年2月11日 (土)

(311) 特別支援教育の在り方に関する特別委員会資料を読んで

文部科学省のホームページに「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」の資料がアップされていることをtwitterで知りました。この中で品川委員の意見( http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1314096.htm )は注目度が高いようです。私もなるほどと思う部分が多々あり、こういう意見が出されている委員会は存在意義がちゃんとあるなと感じました。是非ご一読を(最初の3点の部分だけでも)お勧めします。

ブログのタイトル通り、ちょっと斜に構えてみると、日本って教育そのものへの見方がすごくイビツになっているように思います。「学校の先生の言うことをよく聞いて」とか、まじめな人を「学校の先生みたい」と評する一方で、悪名高いインパール作戦で悲惨な撤退を招いた牟田口廉也将軍を陸軍予科士官学校長にしたり、品川委員ご指摘の「通常学級を指導する力のない教員が支援学級や支援学校の教員になるといった“伝統”」があったりと、教育に一流の人間やノウハウのある人間をあてなくても良い、というような対応をしてきていることについては、私たちももっと考えなければならないと思います。一流でない人間の言うことをよく聞いていたら、ロクな結果にならないでしょうし。

学校の先生が、教員向けの指導書(子供たちの教科書に指導ポイント等を書き加えたもの)の朗読屋でも勤まってしまう状況において、やってもやらなくても大差がない状況において、なお子供たちの指導のために勉強できる人って、そうそういないと思います。この部分だけ理想の教師像を押し付けられては、先生も可哀想でしょう。

先生がサラリーマン化している、という批判は正しくありません。サラリーマンはきちんと査定を受けて給与や賞与、更には後々の昇進にも差が出てきます。学校のそれはまだまだ不完全です。むしろ、きっちりサラリーマン化した方が全体の質は高まると思います。

とりわけ、特別支援に関わるノウハウを身につけている先生は極めて不足しているわけですから、そういう先生を厚遇していくことってすごく大切なことではないでしょうか。そもそも、このノウハウを持っているセラピストは、それなりの単価で指導を請け負うことが成り立つわけですから、学校の先生に「自分で努力して身につけろ、でも待遇は変わらないよ」という方がおかしいと思います。

橋本大阪市長を全面支持はしませんが、教育において直すべきところが少なくないわな、と私も思います。

2012年2月 4日 (土)

(310) 国力と福祉

私たちは普段、「国力」というものにあまり意を払っていないと思います。

「国力」などと言うと前時代的だと思われるかも知れませんcoldsweats01。でも、人間が個人の力で生きていければそれに越したことはないのですが、ほとんどは地域・社会で生きていくしかありません。その地域・社会も国に依存せざるを得ない部分があるのは事実で、寄って立つ国の力は大事だと思っています。

今の日本はいろいろと問題はあるし、多少軽めに見られてしまっていることは残念ですが、それでも未だ先進国の一角を占めていて、そのことによってメリットを受けていることは、もう少し意識しなければならないと思います。

結局国力がモノを言うのが国際社会の常識です。ゆえに国力を高めていかなければなりません。

ちょっと大上段に振りかぶり過ぎかな? と思いつつも国力を高めるという視点で福祉を考えると、福祉とは究極的には支援の枠組みであり、支援をできる側とされる側の比率をできるだけ「できる側」に寄せる方が良いことは自明だと思います。

だからこそ全くできないことを少しはできるようにし、少しできることならばもっとできるようにし、よくできることがあるならば更にほかの部分でできることを増やしていく、という発想が大切だと思います。

もちろん、ステップバイステップでやっていくことは大切で、そこを勘違いして一足飛びに全部をやらせようとしてはなりませんし、本人の意欲を損なわない適度の提案(変な言い方ですが)が必要で、結局はその見極めが大切なのだろうと思います。これは、一人一人個体によって異なるだろうと思います。

その見極めをすることをせず、最重度であるが故に、最初から諦めてしまっている方も散見します。「多少のことができるようになっても、結局この子は福祉でお世話になって生きていくしかないんだ」と言われたら、完全に自立はできないだろうことは認めざるを得ないと思います(ここで、逆に「やればできる」と言うのも無理がありますし)。

とはいえ、下がりつつある国力を考えると、福祉が向上する可能性はあまりないと考えた方が現実的であること、また福祉を度外視して、どんな子であってもできないことができるようになれば嬉しいと感じるはずで、このできる喜びを教える努力はすべきだと考えることから、どうしても見ていて歯がゆい思いを感じています。

最初から諦めるのもやればできると言うのもこの場面では極論であり、中庸をどのあたりに取るかの問題なのでしょうけど。

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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