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2012年2月18日 (土)

(312) ゆるやかな相互理解

インクルージョン教育について、これまでも何回か書いてきています((210)(233)(276) )が、これについてもう少し考えてみました。

これって一つの社会の中で生きていくことを前提にしていて、だからこそ取り組もうとしている教育なんだよな、ということに思い至りました。

「当たり前じゃん! いずれ出て行く社会は一つしかないんだから」という突っ込みはあると思います。基本的には私もそうなんだろうなと考えてはいますが、これが強迫観念となっているとしたら、ちょっとそれは違うんじゃないかな、という気もします。

例えば、完全に別の社会を構成する方向に社会が進むとしたら、どうなんでしょう? それでもなお、インクルージョン教育に取り組むべきだということにはならないように思います。少なくとも「must」ではないでしょう。

とはいえ、健常者同士の子が必ず健常か? と言われれば明確にNo!です。一定の割合で障害を持つ子が生まれてくるのは厳然とした事実です。従ってその子達を別の社会に隔離するようになってしまうような社会ができあがってしまいますが、こういう社会はかえってすごく重苦しい雰囲気になるだろうことが予想されます。

そして、そのうちに障害児(者)だけじゃなく、より弱い人たちに矛先が向かうようになることにもなるでしょう。常に戦場にいるかのような緊張感を持って生きていくのはシンドイですよね。だからこそ、相互の違いを受け入れ一つの社会を構成するものとして理解しあうことが必要になるのだろうと思います。

ただ、そこで逆に完全に理解しあわなければならない、と思い詰めないことが大事なんだろうと思います。

純理論的に突き詰めて議論しあうのは不毛で、それこそ一つの社会を構成する者同士、相互の考えを尊重しつつ折り合いをつけていくべきなのでしょう。歯切れは悪いんですけど、どちらかに偏る方がいずれもよろしくない結果を招くように感じていますので。

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