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2011年9月20日 (火)

(279) 障害者支援の行く末を案じる

高名なブロガーであるちきりんさんの日記(Chikirinの日記)の中で、「どっちの破綻が早い? 生活保護と年金」(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110821)というエントリがあり、興味深く読ませて頂きました。

読み終わってふっと思い至ったのは、それでは息子達障害者への支援はどうなるだろうか、ということです。もっと言うと、今後段々財政が厳しくなっていくに従い、確実に切り詰められていく方向にしか進まないだろう、でも一方で障害者が消えて無くなるわけではないし、世界の流れから見て何もしないということも許されないだろう、ではどうなっていくんだろうか、と。

ちきりんさんのエントリで「ああなるほど」と感心したのは、年金は国家公務員も加入している、ゆえにそう簡単にはつぶされない、一方で生活保護はどうか? という切り口です。年金制度維持について、最後は支給開始年齢を上げ続けるという強引な手段があることは自分でも思いついたのですが、年金制度維持には官僚の利益もあるからそう簡単にはつぶされない、という視点は無かったです。

この伝でいくと、官僚の子弟に障害者がたくさんいれば、その支援の削減も行われにくく、必要な予算金額の削減圧力も緩やかになると思われますが、それは現実ではないであろうこと、しかも、障害者はマイノリティで選挙の票数も期待できない声の小さな存在であり、政治家を動かすことも難しいことから、障害者への支援は減る方向にしか動かない、とかなりの確度を以て推測されます。

こうなると、生活保護についてちきりんさんが書いていたのと似たような感じで、障害者収容施設というものができるのかも知れません。現金ではなく、最低限の衣食住だけ提供します、嫌なら外に出て頂いても結構ですが、その際は自助努力でお願いします、というような感じになってしまうのではないかな、と。

山本譲司さんの「獄窓記」や「累犯障害者」で問題点を指摘されていますが、刑務所が障害者の事実上の収容施設になってしまっている実態があり、娑婆に出ても仕事も何の援助も無く、軽微な犯罪を繰り返して警察のご厄介になり刑務所で人生の大半を過ごすという哀しい生きる術に頼らざるをえない人の存在が確実にあって、これを何とかしなければいけない、という気にはなります。ある意味、犯罪を犯さなくても堂々と入れる施設ができるのだから良いじゃないか、という意見もあると思うのです。

自分としては「何かが違う」という思いと、「現実を見ろ」という思いが交錯して結論が出ませんが、健常者でも生きることが大変になってきた時代の中で、どのような方策があるのか、もっと社会と障害者がWin-Winの関係を築ける仕組みはないのか、について考えるとともに声をあげていかないと、という思いがあります。

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教育制度・環境」カテゴリの記事

コメント

とても現実的に書かれていると感じます。
ちきりんさんのブログは私も3年前からずっと愛読しています。
残念ながら私も障害者への優遇制度は減少していくと思っています。
ただこれは障害者のみでなく、国全体の制度が少しずつ色々な場所で削られていく流れの中で、障害者優遇制度についても見直されていくと思っているのです。

これはボク個人の考えのレベルですがこの流れに関しては仕方無いと思っています。
この状態で「障害者だけは・・・」とは無理だと感じています。
ですから、私はずっと心かげているのは障害者でも補助が必要な方と必要で無い方の明確な区分け。
例えば我が子のような発達障害者の場合は、やはり軽度な障害に対しての対応です。
軽度な人はそれなりの構造化を作れば、僅かながらでも自立に目覚め、すくない報酬の中でも納税ができるようになっていく。

否、そうしなければいけないと感じています。
今はまだ何とか日本の経済の体力もありますので今のうちからこの方法を進めていかないと手遅れになってしまうのでは?と危惧を感じています。

マサキングさま

コメント頂きありがとうございます。

親亡き後のわが子がどのように生きていくか、まさに海洋天堂のテーマそのものが問われる事態が、そう遠くない未来に迫っていることを感じつつこのエントリを書いています。

理想はいくらでも言えるのですが、現実的に考えると、障害者支援が多少でも残る限りは何とかそれに適合して生き残れるようにしていく、というのが親としての基本的な方向性だと考えています。

一方で、いくら親が努力しても、子どもがそれについていけるかという悩ましい問題があって、私達はその間で悩み続けることになるのでしょうね。

本文に書いた障害者収容施設、ベースとしてはあっても良いのではという思いがありますが、そこに入って終わりというのもいかがなものかという疑念があり、あくまでも最後の駆け込み寺になるようにしたいというワガママな希望を持ったりもしています。

いずれ、子ども達が大きくなってきたら、彼らの思いもある程度聞けるようになると思っていて、その思いも最大限尊重しつつ一緒にまだマシな未来を目指したいな、と甘い気持ちを捨てきれずにいます。

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