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2011年9月19日 (月)

(278) もし海洋天堂に続編ができるなら

先日、妻も渋谷で公開されている海洋天堂を観に行きました。やはり感動したと申しております。

この映画を見た私の感想は(255)(256)(257)(258)に書いた通りですが、今回妻が観るまでの間には1ヶ月半くらいの時が経過しております。この間に自分の中でこの映画のどこに「アッサリ感と裏腹のちょっと物足りない感」を感じたのかがわかるようになってきましたので、今回はそれを書いてみたいと思います。

当然のことながら、以下の文章は映画を見てその内容を一通り知っていることを前提に書いておりネタバレ満載なので、この先を読まれる方はこの点ご留意下さい。

この映画において、ジェット・リー演じる父親の大福が心配で心配で仕方がないという気持ちは極めて明快に伝わってくるのですが、では父親は「心配」だけだったのだろうか? という疑問があります。

僭越ですが、長く一緒に生活してきた中で感じてきた「家族としてのありふれた愛情」というものがあったはずで、彼が映画の中でそれをもっと率直に表現できるようなシチュエーションがあっても良かったのではないか、という思いがあります。

具体的には、彼に雑貨屋のオバちゃんに対して「自分は父親だから責任がある」という台詞を言わせるのなら、他の人に対しては「責任だけじゃない、心配だけじゃない、ずっと可愛く愛おしく思っていた」と言うシーンがあっても良かったのではないかな、と。

もしかしたら、死期が近いことを医者から知らされる前には、時にはそういう気持ちを取り戻す余裕もあったのかも知れません。また、この状況に移行した後ではそんな余裕もなくなって、父親の意識の表層まで現れることもなくなってしまったのかも知れません。ただ、障碍児の父親としての人生、その全てが息子への心配だけだったのか、傍から見れば「大変」「気の毒」なだけのものだったのか、を考えると、それだけではなかったはずだと(自らのこれまでの短い障害児父親生活から)確信しています。

特に、泳ぎが得意のはずの母親は水死…要は死に逃避して、大福の養育を男手一人でやらざるを得ないという状況であったのであればこそ、その運命と戦い続けた男のストイックさだけでなく、思いをどこかでしゃべってもらいたかった、その相手としてうってつけのキャラが出演していたのに…という思いがあります。

そのキャラとは、大福が通っていた療育施設の元園長です。この人が大福の終の棲家をお世話するだけでほとんど父親と会話をしていないのは極めてもったいないと思います。雑貨屋のオバチャン、しかも自分に好意を寄せている女性に対しては「責任」という(エーカッコシイな)言葉で答えざるを得ないとしても、おそらく幼少の頃からの父子のすべてを知っている元園長との久々の、そして双方とも命の灯火が消えかけていて恐らくは最後の会話となるであろうことが分かっている状況で、父親のこれまでの人生を総括するような会話をさせてやっても良かったのではないでしょうか。

次いで療育施設の元園長には及ばないものの、水族館の館長というキャラも、やはり大福を幼少期から知っているであろうし、さらに職場でも一目置かれるような立場である大福の父親(だからこそ、プールとして使わせることも許していたと憶測しています)との長い男同士の付き合いがあったであろうことから、この館長と思い出話をするようなシーンがあっても良かったかなあ、と思います。

少なくとも雑貨屋のオバチャンにはどうしても入り込めない、共有した時間の長さに基づく話は絶対にあって、元園長や館長なら分かってもらえることってすごく多いと思うんですよね(特に元園長には)。確かに、それにトロみがつくほど濃厚に語り合わせては映画の雰囲気がガラッと変わってしまって、監督の思いに合わなくなる可能性があったのかも知れませんが、でももうちょっと入っていても良かったんじゃないかなあ、と思うのは私だけでしょうか?

あと、細かいですが、冒頭の入水自殺の直前に、今生の思い出として大福に好きな食べ物(ゆで卵とアイスではちょっと不向きですがw)を心行くまで堪能させてやったり、いざ、という直前に既に亡き母親も含めて3人で写った写真を取り出して見て「今から、そっちに行くぞ」とつぶやくとか、そういう父親の家族への思いを表現するシーンがあっても良かったかなあと。

ブッチャケ、先立った妻に早く会いたいと思っていたのか、それともギリギリで踏みとどまったものの雑貨屋のオバチャンの好意を受け入れそうになるほどに妻が既に過去の人に成り下がっているのか、更には「勝手に自分だけラクになりやがって」と恨みに思っていたのか…それは本題と外れるのかも知れませんが、父子関係にスポットが当たり過ぎで家族全体はどうだったのか、父親がどう思っていたのかが分からないままなのが、どうしても消化不良感を感じさせるように感じます。

よくある、「海洋天堂外伝」とか「それからの大福」と銘打って続編を作るとしたら、このあたりに焦点を当ててもらいたいなあと思います。

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