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2011年8月

2011年8月31日 (水)

(272) 夏休みが終了

今日で夏休みが終了となります。

長いと思っていた夏休みも過ぎればアッと言う間でした。

息子は、宿題は一通りできました。自由研究もできましたし、学習面ではまだそれほど問題が顕在化してきていないようです。

また、家族とのコミュニケーションはかなり取れるようになったと思います。その分、親戚の子とはあまり上手に関われておらず、特に妹と比べるとその差は明らかで、高機能児によくあるとされる人との関わりの苦手さが段々見られるようになって来ました。

特に、本人もそのことを認識しているようで、最初から関わるのを放棄しているようなところがあって、これは何とか対応していかないとなあと思っています。

明日から学校ということで、もっとブルーになるかと思っていましたが、あまり嫌がるそぶりも(今のところは)見せておらず、ホッとしています。

とはいえ、明日の朝になってコロッと変わることも想像できるので、どうなることやらと思っています。

2011年8月28日 (日)

(271) 超長期の展望

息子が40歳になる時、自分は生きていれば軽く70歳を越えている。これは動かしがたい事実。その頃どんな人生を送っているのだろう…ちょっと考えてみました。

実は、生命保険屋さんから子どもの保険を勧められたのが、考え始めるきっかけとなりました。学資保険ではなく子どもの医療・終身保険で、ひょっとしたら息子は自分で保険をかけることも難しくなるかも知れないな、というのが頭にあって加入を真剣に検討しています。

それはさておき話を戻しますが、高機能自閉症児において親元等から独立して一般就労している率よりも、誰かの保護の下で生活している率の方が高いようです(『高機能自閉症・アスペルガー症候群入門 正しい理解と対応のために』内山 登紀夫・水野薫・吉田友子/編 中央法規出版)。息子がこの後成長するにつれてどの程度の伸びを示すかはわかりませんし、もちろん親としてそのための支援は今後も継続していくつもりですが、だから大丈夫等とは思ってはならないし、このことは念頭に置いていく必要があると感じています。

基本的には、福祉制度の活用も視野に入れつつ、まずは親がある程度支援をし続けられるようにしなければならないだろうと思いますし、妹にしわ寄せがいかないようにしなければ、とも思います。ゆえに、まず絶対優先すべきは親の健康第一であって、ワークライフバランスとしては、ややライフ側にシフトして生きていくことになるだろうと思っています。

仕事と生活では仕事を優先する、しかも傍で見ると「それで家庭で問題ないのか?」と思うくらい仕事大好きな人もいますが、少なくとも「体に恒常的に過負荷をかけてでも仕事を優先する」という選択は、私の場合はそのリスクの大きさを考えるとできないということになります。自閉症のお子さんを育てつつ、東レの役員まで務められた佐々木常夫さんは凄いな、と思いますが、私の場合は他の人が先に昇進しても「お先にどうぞ」というバイバイハンドを付けることになるだろうな、と達観しています。

そして、就学中はともかくその後どうなるか? なんですが、勝手な思惑を言えば、妹が結婚して子育てにある程度目処が立つ(子どもが中学に入るくらい)頃まではまず私達親が見守り、その後は福祉制度を利用してメインはそちらにお願いしつつも、妹に負担になり過ぎない程度の援助をお願いできないかな、と考えています。

きょうだい児問題が絡んでしまいますが、妹が成長する過程で兄である息子に嫌気を感じずに済むように配慮して育てていきたいと思いますし、最後は本人の選択に委ねるつもりではありますが。

高機能の子の場合、福祉制度にどのようなものがあって、どの程度使用できるのかが分からなくて正直困っています。知的障害のある方でよく見かける「グループホームに入って共同で生活しながら福祉就労する」というような例を聞かないので…調べ方が悪いのかも知れませんが、恐らく具体的にこんな制度があります、というようなものって無いんだろうなあと(障害年金や生活保護はありますけど、高機能を活かしつつ自立した生活を目指すための制度、しくみってあるんでしょうか?)。

結局、社会に出られずにひきこもりになって親が面倒をみている、という状況の方も少なくないと思われます。でも、このままだと親亡き後の展望がありませんし、社会的にももったいないことだと思っています。

ニーズは絶対にあるでしょうし、例えばコーディネートできる人がいて高機能者を集めた協同組合を作り、税制面で優遇するようなしくみ(中小企業等協同組合法から想起しています)ができれば、そしてトータルの社会的な負担が減れば、その方がメリットがあるのに、と思っています。

定年を迎えた後の自分の第二の人生は、健康第一としつつ(笑)、そういう方向で努力してやってみようかなと考えています。

2011年8月25日 (木)

(270) 妻子が帰省先から戻ってきて

21日の日曜日に妻子が妻の実家から帰ってきました。

迎えに行った羽田空港は駐車場が全部満車で、駐車場へ入ろうとする車列が空港ビル前まではみ出て大混雑していました。やむなく用も無い国際線の駐車場に回り、ここで何とか停めることができ、無料シャトルバスで国内線ターミナルに向かってやっと再会を果たしました。

妻が、実家での息子の様子を語ってくれました。良い時もあるのですが、気に入らないことがあると大声で叫ぶのに妻の父母が驚いていたそうです。

妻の親族には教育者が何人かいて、息子について妻がカミングアウトしているわけではないのですが、ピンときている方が何人かおられるようです。そのため、特段息子の奇矯なふるまいについて問い質されたりすることはなかったそうです。妻の父母はいろいろあっても極めて孫に優しく接してくれます。それもあってか息子は妻の父(つまりじいちゃん)に懐いていて、夜寝る時も別室で寝る妻と別れてじいちゃんと寝ていたそうで、息子の障害がクリティカルになることはなかったようです。

ただ、従兄弟が遊びに来ても、妹が率先して仲良く遊ぼうとするのに比較して極めて消極的であり、海に誘っても「ボク、行かない」というようなこともあったようで、やはり今後は社会性の伸張が大事だなと感じています。

なお、へそを触るこだわり行動が出たそうで、赤く腫れても触ろうとするので困ったそうです。

戻ってから、どうかなと思っていたのですけど、大声で叫ぶということも減っています。やはり、環境の変化によるストレスもあったのだろうと思います。

あと、長崎でどういうことがあったのかはわかりませんが、玄関の靴を揃えて並べるようになりました。それは、誉めて強化しています。

今後は、叫ぶという行動ではなく代替行動を示してそちらに移行するよう努めたいと思います。あと数日で2学期が始まります。どうなることやら。

2011年8月21日 (日)

(269) 24時間テレビ

この土日に標記番組が放映されましたが、障害者の家族として見ると、目指すものが伝わってこないように思います。要は、この番組を作ることによって、社会に何を訴えたいのかということです。

障害に限らず、貧困や家庭不和等困難な状況に打ち勝つサクセスストーリーは人の興味を引きますし、視聴者に「ああいう人でも頑張っているんだから、(まだ恵まれた状況にいる)自分達も頑張らなきゃ」という反省の気持ちを醸成させ、反省好きな日本人の欲求に応えるというのは、マーケティングとしてアリなんだろうなと思うのです。

でも、それだけでは売れるものを作っているだけで、あるべき社会像を提示するというような思想が見えてきません。

そもそもそんなものは無い、募金集めのイベントのサービス映像だ、募金者が自己の行為の正当性を納得できればそれで良いんだ、というのであれば、あまりにもモッタイナイと思うのです。

政治がアテにならない今、民間の社会福祉への取り組みの比重は相対的に増しています。ピンの障害者のみを取り上げ、単なる年1回の福祉的なお祭りイベントに終わらせるのではなく、障害者のCommon People の実相を伝え、よりよい社会のモデルを創出するような番組ってできないのかな、と思っています。それで番組が売れたら、製作者も出演者もWin-Winの関係ができるわけですし。

クリエイティブな仕事をしたいとギョーカイに入った方々の才能と発想に期待しています。

2011年8月19日 (金)

(268) NHKの「スマイル!」を見て

新しい特別支援の番組とtwitterでご紹介があったので見てみました。

10分番組ですが、子供の困り感に寄り添い、楽しみながらバランス感覚を鍛えたり、人との関わりでどうしたら良いかを具体的に明示したり、教える側にもこうすればその子がより理解できるんだ、という気付きも与えてくれる内容となっており、素直に良いなあと思いました。

ASDやADHD、協調運動障害等の診断名ではなく、「思ったことを何でも言ってしまう」「バランスをとるのが苦手」という具体的な事例からアプローチしている点にすごく好感を持ちました。診断名からだとどうしても紋切り型になってしまうし、見ている子どもに理解されにくいと常々感じていますので。

根拠が無いプライドが高くて親が教えようとしても嫌がるようなお子さんにとって、こういう番組はありがたいです。うちの息子も、割とテレビからの情報は素直に受け取ってくれますし(使いこなせるかどうかはまた別ですがhappy02)。今後の放送予定がよくわからないものの、是非定期的な放送がなされるよう希望しますし、番組の充実を期待しています。

2011年8月14日 (日)

(267) 静かな生活の中で

(今回は、全然発達障害関係のことは書いていませんので、それを期待されている方はスルーをお願いします)

妻子が家を離れているので、家は静かです。「いなくなると寂しいでしょ」と妻に言われましたが、拍子抜けと言う方が適切かなと思います。

実は、最初の2日間くらいは自分のエネルギーが下がっていくのを感じていました。子ども達がしょっちゅういさかいを起こすので、それなりに対処するタイミングを図るのに気を張っていたのが、解けていくような感じです。海外旅行から戻った時の感覚と言えばわかりやすいでしょうか。

ということで、静かな時を生かしてちょっと勉強したり、本を読んだりして過ごしていたのですが、今日カミさんとビデオチャットしていたら、背後で二人がまた言い争いしているのも(残念ながら)よく聞こえてきて、普段よりもかなりうるさく感じました。また、気を張るべく体内でエネルギーを昇圧しないといけないんだろうなあと思いつつ、人間は安易な方に流れるので…うーん、帰ってきたらどうするんだろう、私。

帰った妻の実家で、妹⇒息子の順に風邪を引いたそうで、まだ息子は治りきっておりません。でも、それなりに楽しく日を送っているようです。世渡り巧みな兄妹で、息子は祖父と寝たり、妹は妻をそっちのけで叔母や従兄弟と一緒に風呂に入ったりと環境の変化にもきっちり対応できているようで、ホッとしています。そう言えば息子はおじいちゃん子だったなあと思い出したり。

基本的に、妻の実家は構ってくれる人が多くなるので子供一人当たりの満足度が上がるというメリットがあります。何はともあれ、笑って帰ってきてくれると良いなあと思っています。

2011年8月11日 (木)

(266) 通級制度で気がつかされたこと

先日、発達障害のあるお子さんを持つ父兄の方とお話する機会がありました。

通級制度に話題が及んだ時に、入りやすさ(希望したらすぐに入れるのか)については自治体ごとにそもそもの設置の考え方が異なり、結果として空き状況にも差が出ていることは元々認識していたのですが、「通級に通うことを自治体が認めているというのは、週に1日授業を抜けてもついていけるという判断をされているということなのですよ」と言われた時には、「ああ、そういう見方もできるんだ」と目からウロコでした。

実際は、別途療育先で学習の足りないところを補ってもらっていて、そちらで出されている宿題をカミさんが見て指導しているのと、小学生向けの学習ソフトをインストールしたパソコンを本人が時々やるので、今のところ何とかなっているというのが実体で、何もしていなかったとしたらちょっときついと思います。

通級に通うのって、親が必要性を認識しないと手を上げないですし、手を上げても空き状況で物理的に難しいという状況もありますし、加えて本人の能力も問われてしまう、ということでかなり狭い隙間を通っているような感じ(宇宙船が地球に戻る時の大気圏再突入可能角度を想起します)があります。通えている方からすればありがたいのですけど、これで良いのかな、という気持ちはあります。

理想を言えばキリがありませんが、通級指導を受ける時には本人が所属する普通学級を抜けなければならない、という状況を何とかできないかがキモになると思います。何度か主張していることですが、通級指導を普通学級の放課後に別途実施するということができないか、あるいは部活のような位置づけとしてできないか、と思うのですよね。これが第一要望で、もし、それは学校の枠組みではできないというのであれば、就学前まではあった発達センターでの療育を学童でもできないか、と思います。これが第二要望ですね。

発達センターは厚生労働省の管下で、文部科学省管下の学校との連携が心配されるとは思いますが、本人にとって何がより良いことかをよくよくお考えの上、前広に検討して頂けないかと思います。

こうすることによって、通級ももっと通いやすいものになるのではないかと考えます。

2011年8月10日 (水)

(265) 障害のある子を持つ価値(社会生活から)

発達障害のある子を持ち、発達障害について否応なしに関わり学んでいくうちに、社会の見方も変わりました。カッコ良く言えば、我見にとらわれることが無くなった、ということかと思います。

発達障害により自分と異なる思考・行動様式を持つ息子の行動を理解しようとすれば、それまでの自分の「あたり前」を一旦脇に置いて虚心坦懐に見る、という姿勢が必要になります。そうこうするうちに、息子と関わる時ばかりではなく、例えば会社に行っていろいろな人と関わる際にも、無意識のうちにこの姿勢に立つようになっていました。そして、その姿勢で人と接することは、コミュニケーションを図る上で大いに役立つことも分かってきました。

自分は、会社で総務の仕事をすることが多く、社内外の多くの人たちと関わらざるを得ない環境にいます。社会に出て、結構変わっている(と言って失礼ならユニークな)人も世の中には多いと感じることが多いのですが、それでも息子よりは理解しやすい人が多い、という妙な余裕を持てるようになってしまっています。そして、変わっている度合いがさらに強い人の場合、医者ではないので軽々に口には出せないので内心で「もしかして…」と思いつつ、発達障害者に対応するのと同じアプローチをできる、という強みがあります。

障害の有無のレベルまで行かなくても、例えば普通に仕事をしていく上で文書作成は極めてよく行われる業務の一つですが、文章表現で攻めるか、図表・グラフを多用するかという選択でも、ターゲットとなる人の認知属性を意識した方が効果的になるのはあたり前だと思います。

以前なら、「どうして(こんなに良いものなのに)わかってもらえないのかな…」と思うことが多かったのですが、今は「どうすれば、わかってもらえるのか」と相手の理解のツボを探すようになっていますし、それが面白くなっています。

実際、療育書には子どものタイプ別の課題の与え方なんていうのも提案されているものがあります。そこで学んだせっかくの知識を子どもの療育だけにしか生かさないのはモッタイナイと思いますし、むしろ積極的に生かす方が得だと思います。愚痴愁嘆をしたところで状況が変わらないのならば、そういう方向で自分の自己実現を図っていくというのも一つの手だと思います。

2011年8月 8日 (月)

(264) 障害のある子を持つ価値(教育への気付きから)

障害のある子を持って、「自分の人生は大きな重荷を背負った」と思われている方も少なくないと思います。それは一面でその通りだと思います。

ただ、自分はそれだけで終わらせてはモッタイナイと思うのです。

明らかに自分と異なる思考・行動様式を持つ息子との生活は、常識だと思っていたことの意味を再確認させてくれることが結構あります。特に、息子ができないこと、嫌がること、不得手なことで常識とされているものは、それまでは自分もそうするもんだと思って疑いもしなかったことなのに、「そう言えば何でだろ?」と思わされることも少なくありません。

常識は、そうすることでみんなの負担が楽になるからというものが多く、それはそうだなと思い直すことも多いのですが、それだけではありません。実際、例えば教育については文部科学省の負担が楽になるから、ということもあったりします。

先日twitterでつぶやいたことですが、現行の学校制度は明治時代の富国強兵政策の遺物です。欧米列強の植民地になることを避けるためにいち早く産業を発展させ兵力を増強させることが目的であって、教育はその手段であるがゆえにそれにかける労力・費用を最小化し、効果を最大とするようにできています。これは大多数の健常児にとっては有効な手段である一方、天才児と障害児に適したものとはなってきませんでした。言い方は悪いですが、天才児は普通級内で放置、障害児は別のところ(養護学級)でできることをやっておいてよ、という感じだったのだと受け止めています。

戦後もこの「中の上」大量生産教育によって、均質でそこそこ優秀な労働者を多量に産み出した日本が高度経済成長を果たして世界有数の国になりました。ここまでは、それなりに意味があったと思われるのですが、今の世の中ではどうでしょう? 明らかに機能不全に陥りつつあるように感じているのは私だけでしょうか?

皆異なる個性を持ちそれを尊重しようと言いながら、個々人に適した教育を与えないというのは、論理矛盾です。パラダイムシフトが起きつつある今の世の中では、天才児も障害児も含めた全員が一人ひとりその能力と興味関心に応じたきめ細やかな学習環境を得て能力を伸ばし、社会においてその能力を存分に発揮し、社会に貢献できるようになること、それを本人の自己実現として本人も喜べることを理想として対応していくことが絶対に必要になると思います。そのことによって結果として国が元気になることもできるでしょう。

もちろんこれを実際にやろうとすれば、費用は間違いなくより多く掛かります。でも、文部科学省は所掌でないから知ったこっちゃないのかも知れませんが、学校を出た後結局社会で何もできずに生活保護や障害年金で生活せざるを得ない人が生まれてしまっているとしたら、あるいは天才による革新的な技術開発ができないままでいることになったとしたら、その方がはるかに社会的損失が大きいと思います。

結局、福祉が厚生労働省、教育が文部科学省、産業育成が経済産業省、雇用が厚生労働省と国の機関が分かれていることによって、国全体で戦略的に子ども達の成長を見守り、社会に出た後まで継続してフォローするという視点が欠けてしまっていることが問題だと思っています。

このような視点を持てるようになったのは、息子との関わりによるところが大きいと思っており、人間として成長させてもらっているなあと思うようになりました。

2011年8月 6日 (土)

(263) 育てられる子にも気持ちがある

息子の療育環境は、今は結構良いと評価しています。でも、それは息子の成長が療育環境と関連があることが推定され、かつ親から見て好ましく成長しているという親ニーズだけで判断しているわけではありません。もちろんその事実が最初に無ければ話になりませんが、それに加えて息子が楽しそうに過ごしている、少なくとも元気が無くなる等ネガティブになっていないように見える、という息子の気持ちも汲み取って判断する必要があると認識しており、この一歩引いた視点を忘れてはいけないな、と常々自戒しています。

これを敷衍すると、親から見て好ましい社会的に的確な行動を取れるようにすることは一般的に必要なことではあるものの、子供が嫌がるのも構わず力技で押し付けるようなやり方は避けて、子供の側も進んでその取り組みをやってみようと思える環境作りが大切だ、ということになるかも知れません。最後の最後に踏み越えるところは場合によってはあるかも知れませんが、大抵はそれ以外にやり方があるのではないか、と思っています。

よくよく考えると、これは障害児育児に留まらないものであって、健常のお子さんでも同様だと思います。親が子供を見て「成長したな」と感じるのは、社会性が増したりできることが増えたりした場合で、それは親にとって好ましいことではあるのですが、あまりそこだけに力点を置くと親にとって都合の良い子にしてしまうこととなり、それが原因となって子供の自尊感情を損なってしまうようなことになっては、後々かえって良くない結果を招来することとなってしまうと考えます。

特に、知的にそこそこ高いお子さんの場合、良い子を「装う」ようになってしまうことがあり、そのストレスは必ず何か別な形で、それもより厄介な形で出てくるように思っています。だからこそ、子供が楽しそうに過ごしていることが大切だと思います。

療育に熱心なことは悪いことではありませんが、何かができると更に次、というのをあまりやり過ぎると取り組み意欲が減退し、疲弊していきます。「這えば立て 立てば歩めの親心」という句は親の気持ちを表しているものではありますが、親に願いがあるように子にも気持ちがあるわけです。そもそも、親が望んだような子に育つなんてことは障害児だけでなく広く一般の育児においてもむしろ稀有なことで、ままならないのが育児だというくらいの割り切りが必要だと思います。

ABAに代表される行動療法は、本来「気持ち」という目に見えないもの対象とせず、先行条件と出てくる行動だけを基に分析をして対応を考えるものではありますが、考えないだけであって気持ちが無いと看做しているわけではありません。

ついつい「○○ができないからどうしよう?」「じゃあ、このようにやらせてみよう」と脊髄反射的に考えるようになりがちですが、そういう時はちょっと引いて、実際にやらされる子の気持ちの存在を意識し直してから対応を考えることが大切だと思います。そうすると、時に一見回り道をするようなゆっくりとした取り組みになってしまうかも知れません。でも、その方がきっと子どもの笑顔が増えるだろうと思います。焦ってはいけません。

2011年8月 3日 (水)

(262) 帰省を前に

先日、息子が耳の鼓膜切開手術を受けました。

何度か書いているように、息子には滲出性中耳炎の持病があって今もずっと通院しているのですが、今度飛行機に乗って帰省する旨をお医者さんに伝えたところ「今の状態で飛行機に乗ると、気圧の関係でかなり痛みを発する可能性がある」ということで、急遽鼓膜の切開手術を行うこととなったものです。

この手術自体は、過去にも何回かやっていてあまり抵抗も無かったようです。ただ、終わった後に、「音が大きくてめまいがする」等と言い出したので、やっぱり聞こえが悪かったんだなあと納得するとともに、表現が多彩になったなあと若干嬉しく思ったりもしました。これまで手術した時には、そういう感想は一切ありませんでしたのでhappy01

夜に寝つきに掛かった時に、「耳から水が出てきた」と言い出したりもして、鼓膜の中にたまっていた水分が出てきたことがわかりましたし、そういう状況を伝えてくれるようになってありがたいと思うようになりました。

こういうちょっとちょっとの成長を意識して実感できるのが、障害児育児の良いところだと思うようになっています。滲出性中耳炎もこのまま治ると良いのですけど…

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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