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2011年7月

2011年7月29日 (金)

(261) 休みの過ごし方

ここのところ曇りか小雨の日が多く、過ごしやすい日が続いています(比較の問題ですけど)。

一時の炎暑が一段落してヤレヤレというところですが、息子はまだ暑いようです。大好きなラーメンも、散々食った後に「暑いのにラーメン食べさせないで」と抗議するそうですwobbly

長い夏休み、基本的にどこのご家庭でも退屈したお子さんの連れて行き場に困っているお話を耳にします。これは、障害の有無に関わらず不変だと思いますが、実は息子はそれほど暇を持て余しているわけではありません。そもそも宿題が結構出されているというのもありますが、彼の場合行くところもそれなりにあります。

行き先としては、ベースとして普段から通っている療育教室、体操教室、病院(耳鼻科)、病院(皮膚科)があり、これ以外に地元のNPOが開催する障害者向けの水泳教室にもエントリーしています。

こういう時に、妹はどうしてもそれにつきあわされてしまう(年中さんを家に一人で置いていけませんし)こととなり可哀想だなと思うこともありますが、できるだけ不便を感じさせないように心がけてはいます。

例えば、体操教室は見学ではなくお兄ちゃんと一緒のクラスで受けさせています(当然のことながら、お兄ちゃんのクラスの子は不器用な子が多いので、年齢差があっても運動得意の妹は彼らと伍してやっていけてしまうという事情もあります)。

また、お兄ちゃんが療育教室で授業を受けている間は、お兄ちゃん抜きでお母さんと関われるというメリットを享受させています。

そんなこんなで日々を送っているのですが、妹も段々お兄ちゃんを主体としたお出かけプランに従って一緒に出かけることに抵抗を示すようになっています(体操は好きなのでそんなことはありませんが)。

まあ、それはそれでやむを得ないと思いますので、その対応としては、保育園の一時預かり制度を使うようにしています。これは、公立保育園で若干名をテンポラリーに預かってくれるというもので、当然のことながら申し込み者は結構多いです。ゆえに予約のできる最初の日の受付開始直後に申し込まないとあっと言う間に埋まってしまうという弊害はありますが、ここに行けばお友達と遊べて、今は季節柄好きな水遊びもできるので本人も気に入っているようです。

そんな感じで妹にかかる負担をできるだけ少なくするように努めています。というか、できることはそれくらい、ということもありますが。

なお、息子は家では宿題をやった後、一人でプラレールとミニカーと妹の人形などで町のジオラマを作って遊ぶことが多くなっています。プラレールは昔は電池を入れて動かさずに手で転がしていたのですが、今はそういうジオラマの中で電池で走らせるようになっています。

あとは、どこからどうやって見つけたのかは知りませんが、パソコンでyoutubeの中からACのCMのポポポポーンをパロディ化した松岡修造さんの出る動画を見ては大笑いしています。

そろそろネットリテラシィについても教えていかないとなあ、と思っています。

2011年7月23日 (土)

(260) 通知表を見て

休みに入って数日が経ちました。

息子の通知表を見ました。「できる」と「がんばろう」がほぼ半々(笑)。「よくできる」は1つだけありました、やれやれcoldsweats01

評点が健常のお子さんと同じ基準だと思われることから、これはしょうがないと思います。元々、障害があるからと言って特別扱いを期待してはいませんでしたし、むしろ客観的な彼の立ち位置が見えて良いと思っています。

このあたりの受け止め方については、子どもの状態から考えて特別支援学校や学級の方が相当と思われるお子さんを普通級に入れておきながら特別扱いを要求するな、というネット上での厳しいご意見を拝見することもあって、障害を持つ子の親として常に自戒すべき点だと思います。

なお、先生のコメント欄で「国語と算数は確かな力があるようです」と書かれており、それだけでもGood Job!だと思います。昔から寺子屋でも読み書きそろばんを教えていましたし、絵が下手とか鍵盤ハーモニカが吹けなくても実生活で困りませんし。

今朝、息子は娘とともに爆睡しておりました。何故か休みになると早起きするのにちょっと不思議だなとも思いますが、脱ゆとり教育の弊害で毎日の授業内容も盛りだくさんであることから、やっぱり日々の疲れが溜まっているのでしょう。でも、現在のところ、彼の取り柄となってしまっている寺子屋での教育内容(読み書きそろばん)への理解習熟を確実なものとすることも大切ですし、日々コンスタントに親もサポートしていきたいと思っています。

2011年7月21日 (木)

(259) ルールに対する変化

暑くなったせいでしょうか(嘘)、息子がルールにこだわるようになってきています。3連休のある1日、息子と二人で一緒に出かけた時に、横断歩道の手前でショートカットして道路を渡ろうとしたら(横断歩道が道路の片側にしか無く、それを通るとちょっと大回りになる)「横断歩道を渡らないとダメでしょ!?」と指摘してきました。

電車に乗っても、以前は座りたい欲求の方が強くさっさと座っていたのが、今では優先席が空いていても「座っちゃいけないんでしょ?」と言って座ろうとしなくなりました。

このあたり、健常者でもスタンスが分かれる(=正解がない)ところではないでしょうか? 正直なところ、横断歩道を絶対に通れと指導するのが正しいのかは大いに悩みます。本人が守るだけなら良いのですが、ちょっとズルする通りすがりの人にまで注意するようになったら、それはそれで厄介だしな~と思っています。

また、優先席は私の価値観では取りあえず空いていれば座ってもよく、それを必要とする人が来たら譲れば良い(このあたりは、「人によっては誰かが座っていることによって近寄りにくくなるからよくない」と思われる方もおらえると思います)なので、むしろそういう柔軟な対応ができれば良いんだけどと思いつつも、息子にそれを期待するのは酷で障害の特性を理解していない過重な要求なのかと思ったりしています。

結局、世の中には正しい行動はあるもののそれを多少崩したりしても良い、ということまで期待してはいけないのだろうということなんでしょうね。

とはいえ、息子もお片づけとなると途端に手を抜くことを考え始めたりするhappy02ので、微妙な調整の芽が全く無いわけでも無いんだろうと思ったりもします。

日々変わらないように見えて、ちょっと俯瞰するとやはり変化していく息子の状態を常に念頭に置いていかなければならないんだろうなと思うと、大変でもありやりがいもあると感じています。

2011年7月18日 (月)

(258) 海洋天堂を観て(ネタばれ編・終)

今回でめでたく(?)終了させたいと思っています。なお、今回は映画のネタに触れる部分もありますので、観る予定のある方は読まれない方が良いと思います。

本作の主演はジェット・リーですが、私はぶっちゃけジェット・リーって誰? というレベルだったので、「あのジェット・リーがアクションを封印」とか「脚本に感動してノーギャラで出演を引き受けた」と言われても、その重みがイマイチ分かっておりませんでした。アクションスター時代の彼を知りませんでしたし。

しかし、ジェット・リーの父親としての演技、その目線と表情は本当に素晴らしいです。「体育の教科書の一番最後に載ってはいるが、授業で実際にやることはまずない体を使った表現」を、ここまでできる人ってそうそういないだろうと思いました。

何と言って良いのか…身のこなしというか動作の一つ一つがやっぱり違うんですよね。オーラと言って片付けるにはもったいない…強いて言うなら、「おかあさんといっしょ」の元お姉さんだったはいだしょうこさんが、元タカラジェンヌらしくちょっとした踊りの振り付けでもゆうぞうお兄さんとは明らかに違うキレの良さを見せる、というような感じですか。

名札を縫いつけながら寝ている息子に語りかける「父さんがいなくなったら寂しいかい?」の台詞、公式HPの予告編の動画でも出てきますが、実際に映画を見ている中で彼にこの台詞をつぶやかれたら、もう泣けて泣けて…crying 縫い物をする父親、というだけで全てを一人でこなして息子に深い愛情を注いできたことがわかるわけですから。

精一杯の努力が奇跡を呼び、息子を託す先を確保した父親。でも、ここで安堵することはありません。最後の最後まで息子のためにを貫きます。「父さんは海亀になっていつまでもお前を見てるぞ」(これも予告編の動画にあります)という言葉の意味を息子に分からせるための努力(ここはやっぱりネタばらししません)も、傍から見たら極めて奇異なことをやるわけですが、残り少ない命の炎を燃やしてあそこまで必死さを全面に出して突き抜けられたら、観る側も応援してしまうしかない勢いがあります。

妻の「事故死」の後、全てを背負ってきた一人の父親の満身創痍の姿を見て、親の愛とは何とありがたいことかを思い知り、力尽きた父親の生き様に深い敬意を感じざるを得ませんでした。

なお、障害を抱えた息子がいても、好きになってくれる女性がいるっていうのは、ジェット・リーだからだよなあ…と正しく学習している自分を褒めたいと思います(笑)。

自閉症の息子役の文章さんも、斜めから見る自閉症者の目線や微妙に視線を外したはにかんだような表情をよく体得されて好演だと思います。ただ、これは演出さんの方の問題だと思うのですが、自己刺激の手の小刻みな動きを、自己存在主張の時も同じようにしていたように見えた部分があって、そこは??と思いました(もしかしたら、私の認識の方が間違っているのかも知れませんが)。

彼の、桂綸鎂さん演じるピエロ役の女の子への慕情(?)も淡く消えていくこととなりましたが、人の思いを汲み取れない障害とされながらも自分への好意を敏感に感じ取り、そういう人に懐く自閉症児の特質をよく表現していました。

ただ、このピエロの役は、もうちょっと役を際立たせた方が良いかな、とも思いました。なお桂綸鎂さん、率直に極めて美人で萌える(失礼!)のですが、容貌に陰が無い分ちょっと違和感を覚えます。恐らく自分が障害児の親ではあるものの、知らず知らずのうちに障害にネガティブな感覚を持っており、それとのギャップを感じてしまっているということなのでしょう。

父親が旅立った後も映画は続き、一人残された息子の姿が孤独を直截に表して、観る者の心を暗く不安にさせます。それでも彼は生きていく、父親の必死の療育を活かして生きていく、父親の思いを確かに受け取って…それを端的に表す映像を最後に静かに終幕となり、エンドロールで再現される話中の一コマ一コマに、まるで彼らと一緒に生活してきたかのような懐かしさを感じつつ、次第に温かな思いが胸一杯に広がってきます。

故・水野晴郎さんじゃありませんが「いやぁ、映画って本当に良いもんですねぇ」との思いを深くしました。

以上、猫またぎになるくらい感想を書かせて頂きましたが、それだけいろいろな気付きを与えてくれる素晴らしい作品だと思います。

2011年7月17日 (日)

(257) 海洋天堂を観て(いちゃもん編)

更に続けてしまっていますが、療育道(あるんか?)を歩む者として、気になっちゃった部分を書いてみます。

そもそも、21歳になるまでにもっと早くから身辺自立のスキルを教えておくべきだったと思います。21歳であれば、それまでのやり方が身に染みているでしょうし、それまでのやり方への固執が強いことを考えると、新しいことの習得にはかなりの労力が必要となります。そのスジの者としては、むしろ、元々できていたことを発展させるための努力を描いた方が、よりリアリティがあったと思います。例えば、服を脱いだら洗濯場所まで持って行き、ある程度たまったらスイッチを入れて洗剤を入れて洗濯をできるようにする、洗濯機が止まったら自力で干せるようにする、とか。

ちなみに、全然描かれていませんでしたが、トイレスキルなんかはどうしたんだろう、大丈夫かなあと思ったりもしました。ウオシュレットの使い方も覚えないといけませんし…

次に、新しいことを教える時の手法には疑問がありました。具体的には、一度に全部ではなくもっと細かく動作を分割(スモールステップ)して、一つ一つの動作を確実に教える必要があるし、更に動作の最後から段々前の部分を加えていくようにしないと(バックチェイニング)習得が難しいのに、と感じた部分がありました。

周囲の人たちの理解(自閉症への理解ではなく、障害がある子に対する接し方の理解)がかなり良くて、現実はそんなに優しくないよなあ、という羨望を感じたりもしました。

ネタそのものに触れずに書けるのはこれくらいですが、ついついそういう視点で見てしまう自分に若干の自己嫌悪を覚えてもいます。

2011年7月16日 (土)

(256) 海洋天堂を観て(印象編)

前回はどうでもいいかも知れない外堀部分について書いてみましたが、今回は映画全体を通じた印象を書いてみたいと思います。

この映画は、自閉症に限らず、障害を持つ子の親ならば誰もが頭の片隅に置いているテーマ「自分が死んだ後、この子はどうなる?」を最良のものとするために残り少ない命の灯火をかかげて苦闘する父親を描いています。しかも、その21歳になる息子は、特段の才能も無く身辺自立もできていない、コミュニケーション能力も低い状態です。

こういう状況に対して、私達(とひとくくりにされるのが心外な方もおられるかも知れませんが)障害児の親は「いずれうちもそうなるかも」との思いを持たれると思います。一方で大多数の健常児の親・健常者にとっては、遠い世界のお話だとしか感じられないでしょう。

もちろん、健常児の親・健常者も「今の日本だったら、そういう障害児はどこかの施設に引き取られて生活していくんじゃない?」というくらいの想像はされることと思います。ただ、失礼ながら彼らの言う「障害児」は、概念に近いものになるだろうことは否めません。普段接していない以上「障害児」という抽象的なイメージになってしまうのもやむを得ないことでしょう。一方で私達は障害児を「一人ひとり異なる個性を持った生身の人間」として常に感じており、その一番近いリアルな例として自分達の子供を見ていることに気づきます。

このリアル感の差はかなりあるだろうと思っています。私達の思考は、「今の日本だったら、そういう障害児はどこかの施設に引き取られて生活していくんじゃない?」では止まりません。「「どこかの施設」ってリアルにどこにあるの? 一度は見て確認しておきたいんだけど」と思ってしまうとか、「きっとそういうところも空き待ちの状態だろう」と話を聞きに行く前から取り越し苦労してしまう、ということとなります。

前回、映画館が結構空いていたと書きましたが、身近でない内容について興味を持たない、深く考えないのは人間として自然なことですし、そういうテーマを扱った映画を敢えて時間と金を掛けて観たいかというと、残念ながら大いに疑問です。よって、このままこの映画をゆったり観られる状況が続いてもしょうがないとは理解するものの、忸怩たる思いを抱かざるを得ません。

ここで、興行成績や視聴率を考えれば、かつて同じく自閉症を取り上げた「レインマン」に顕著ですが、特殊能力で一発逆転というショー的な内容に傾くことになります(この映画を批判しているわけではありません。ある意味障害者にも非凡な能力がある人がいることを示した点では評価しています)。これと似たようなお話として、キラキラ差別があります。

キラキラ差別とは、24時間テレビに顕著なのですが、この番組では毎年恒例のように障害者を取り上げています。ただ、非凡な能力を持つか超前向きに頑張っている人だけにスポットがあたっており、それ以外の障害者の存在には注目されないこと、更にはそういうがんばりをしている人だけは名誉健常者(かつて南アフリカのアパルトヘイトで日本人が名誉白人として扱われていたことの類例)として社会に受け入れてやってもよい、という社会の風潮に対する懐疑・批判です(そう言えば、もうすぐ24時間テレビの季節ですね)。今回の震災でもピアノを弾く自閉症の子が取り上げられたことがありましたが、そうでない子はどうなんだ? という書き込みを見たことがあります。この「キラキラ差別」というテーマはtwitterでも話題になりましたが、実際はそうじゃない大多数の障害者がいて皆それなりに生きているという事実は、あたり前であるがゆえに人々の意識の上にのぼりにくいのが実態です。

この大多数に属する障害者の唯一の保護者の余命がそう残っていない、というかなり絶望的な状況を淡々と描いているのが、この作品の新しい切り口だと思います。

内容は本当に淡々としています。劇的なクライマックスシーンはありません。むしろそういう派手な表現を排除し(と言っても、多少の騒動はあるわけですが)、それでいて障害児の親から見れば自然に受け止められるいつもの生活シーンがふんだんに収められています。はしばしにちりばめられた自閉症児の行動の特徴、これも私は慣れっこになっているので(自分の子だけではなく療育先で会うよそのお子さんもそれなりに見ていますし)スッと受け入れて見ていましたが、逆にそういう経験の無い方から見れば気になるところかも知れません。

全体を通じコバルトブルーの映像が観るものの心を沈静化させ、ある種の諦観を感じさせます。父子の日常の生活を描きつつ、残り少ない日々に息子に伝えなければならないことを必死に教えようとする父の姿と、自閉症ゆえにそれに応える術を知らない息子の姿が、せつなさを際立たせています。その時が来るまでのあらん限りの努力と思いが観る者の心を確実に揺さぶり、人に愛とはどのようなものかを温もりとともに伝えてくれる、そういう希少な映画だと思います。

2011年7月15日 (金)

(255) 海洋天堂を観て(どうでもいいかも知れない部分編)

(244)でも触れた映画「海洋天堂」を観てきました。

正直なところ、普段は子供との関わりを最優先させているため、映画を観たのはすごく久しぶりです。

ということで、せっかく観たのだから1回で感想を書ききってしまうのはもったいないと考え、数回に分けて書いてみたいと思います(単なる貧乏性?)。

ネタばれになっちゃう部分はその旨を明示して最後に書こうと思っており、まずはどうでもいいかも知れない部分について書いてみます(どうでもいいかも知れないことなら書かなければ良いという意見があることは、重々承知していますcoldsweats01)。

この映画の上映形式は、日本語吹き替えではなく字幕スーパー方式でした。よって、台詞は中国語がストレートに音声として流れます。実は、私は大学時代に第二外国語として中国語を選択しており、中途半端ではあるものの単語によってその意味がわかるところがありました。

今回新たな発見だったのですが、意味が分かるということは、目で追う字幕とは別に頭にスッと入ってくるんですね。そうなると、字幕がかなり意訳をしていたりすると、頭の中で干渉して「えっ?」と違和感を感じてしまいます。そんなわけで、意外なところで映画に没入できない部分がありました(ところどころですけど)。もちろん、完全にわかる人は字幕を見なくても良いので、こういう問題に直面することにはならないのでしょうけど…。変なところでちょっと残念でした(超個人的な理由ですので、参考になる人はあまりいないですよねwink)。

次に、自分が観たのが平日の最終上映回だったことが原因かも知れませんが、率直に言ってかなりガラガラでした。2階席は見ていないのでわかりませんが、1階席は30人くらいでしたかね。ゆったり見られるというメリットはありましたが、こういう映画ってどうしても深刻なイメージがあるし、障害というものについて敢えて関わりたくないという思いもあるだろうし、ということで多少は予想していましたが…正直残念です。

映画館も、尋ねないとパンフレットを売ってくれませんでした。カウンターでチケットをもぎったら「こちらは2階席の入り口です。1階席は奥の階段をお進み下さい」と言われ、その隣の陳列棚にあるものを積極的に売る姿勢がありませんでした。あまり積極的に売られても、今度はウザがられることになっちゃうんでしょうけど。

ちなみに、パンフレットは600円でした。ただ、内容としてはもう一声欲しいところでした。恐らく当ブログを訪れる方ならご存知の辻井正次先生が、自閉症について1ページ書いて下さってはいるのですけど、一般の方への説明としてはこれくらいに留められるのはやむなしだろうなあ、と思うような簡潔なまとめでした。

次は、もうちょっと映画そのものに入ったことを書こうと思っていますconfident

2011年7月 9日 (土)

(254) 1学期最後の通級で

早いもので7月も上旬が終わろうとしています。通級指導教室は、今週で1学期分が終了となりました。

1学期最後ということで一人ずつ発表を行ったそうなのですが、息子はかなり嫌がって参加すること自体を拒否、大声で「いやだ」「ぼく、やらない」と言い続けてクールダウンのために外に出たりと先生も大変だったようです。

前回お友達が欲しいと言い出したことを書きましたが、お友達があるルールに基づいて動いていることを理解できないもどかしさから(だと思うのですが)、本人のプライドの高さと相まって最初からそういうものに対する参加を拒否する傾向がここのところ顕著になってきています。これではまだ友達と遊ぶのは無理だよなあ、と思っています。すごろくくらいならできるのですけど。

昔だったら「何を甘えさせている!無理やりにでも参加させないとますますわがままになるじゃないか」というような指導があたり前だったのでしょうけど、そういう指導ではますます悪い方向にしか行かないと思いますし、もっと穏当な表現で自分の意思を伝えればよいことを教えていこうと思います。更に理由まで言えたら良いのですけどね。

ちなみに、先生の対応も息子の特性に配慮したものでありがたいと思いました。

なお、無理やりにでも参加させるということをやると、そういうヤダヤダ状態を周囲に見せることによって、お友達からますます引かれてしまうことになってしまいます。こちらの面も気をつけた方が良いと考えています。

まあ、拒否も周りが見えるようになった成長の証と理解してはいるんですけど、成長するたびに更に何かがある、ということに慣れていくしかないですねえ。

2011年7月 5日 (火)

(253) お友達が欲しい

息子が、いきなり「同じクラスの子はみんなひどいんだ。お友達になってくれないんだ」と主張し始めました。今まで、お友達が欲しいなんて言ったことがないので、どうしたんだろうとまずはびっくり、そしてそういう気持ちが出てきたのかと喜んでにっこり、でも言っていることをそのままに受け取っていいんだろうかという疑問もあったりします。

「休み時間にお友達になってくれない」という言い方もするので、「お友達と休み時間に何をしたいの?」と質問してみました。具体的に何を、というのはどうも無いようで、何となくEテレ(教育テレビ)の番組で「休み時間に友達と仲良く過ごす」というようなフレーズが流れているのを見て、それを受け売り(遅延のエコラリア)しているだけかも知れず、学校で集団で無視されているというイジメのような状態ではなさそうです。そもそも、息子が友達にどんなアプローチをしているのかもわかりませんし(ちなみに、最近の息子のお気に入り番組はEテレのストレッチマンで、元々親としても見てもらいたい内容なのでハードディスクに録画しています。そうしたら、なぜか妹までよく見ています)。

ただ、こういうことを言い出してきたのもひとつの成長だと思いますので、担任の先生にもお伝えして少し手を貸して頂こうかとは思っています。何か一緒にできる遊びを見つけ友達と遊ぶことが楽しいんだ、人と関わることは面白いんだという経験をさせたいと思いますし。

もちろん焦りは禁物で、今回何が何でもうまくつなげてやるということは考えておりません。ダメならダメで、次にまた機会があるだろうと長い目で見るようにしたいと思います。

2011年7月 2日 (土)

(252) 学校選択

昨日、標記に係わりちょっとtwitterでお話したことと一昨年の自分の経験を思い出しながら書いてみます。

広汎性発達障害の子の就学先については、普通学級・特別支援学級・特別支援学校の3つの選択肢があります。
更に、特別支援学級の選択にあたっては、知的障害の有無が判断基準となり、あるならば知的学級、無いならば情緒学級を選択することとなります。
この他、普通学級に行って通級指導教室で少人数の指導を受けるという方策を取れることもあります。

ここまでの整理をすると、

1.知的障害がない場合
(1)普通学級か特別支援学級(情緒)を選択
(2)普通学級を選んだ場合は、普通学級単独か普通学級に在籍して通級指導を受けるかを更に選択

2.知的障害がある場合
(3)特別支援学級(知的)か特別支援学校を選択

ということになります。但し、これらがフルスペックで整っている地域ばかりではないということには留意が必要です。例えば、私が住んでいる東京都特別区は、(首都でありながら)一昨年度調べた限り情緒固定学級を単独で設置しているところはなく(知的との混合学級はあり)、逆に市部にはあったりしました。
なお、就学先の決定について親の意向を全て受け入れるか、基本的に教育委員会の判定が優先されるかも自治体によってマチマチです。特別支援学校が相当だと思われる子でも、普通学級に就学させられる地域もあります(但し、学校側からは「できる配慮には限界がある」とはっきり言われるそうです)。ちょっとイヤな話をすれば、かなり落ち着きの無い子を普通学級に入学させようとした親に対し、校長先生が「この子が学ぶのに適した学校があると思います。そういう環境を与えないのは虐待のようなものです」と話をされたとか。これ、校長先生がヒドイことを言っているのか、勇気ある真実の発言をしているのかはかなり悩むところだと思います。

この他に全国にあるわけではありませんが、私立で広汎性発達障害の子のためのカリキュラムを持っている学校や、そういう子の受け入れを拒否しない学校(普通学級)があり、人によってはわざわざ転職・転居してでもそういう学校に通わせるという話も伺ったりします。

形式的には、これらの中から親が最適だと思うものを選択し、それを基に教育委員会と詰めていくこととなります。

よって、その前には親としてもそれぞれの情報を集めるべく学校が行っている見学会にはできるだけ参加して、実際の様子を見ておくことが不可欠です。
学校の施設や雰囲気を掴み、どういう子が集まってきていて、その中に自分の子が入ったらどうなるかを想像することが大切で、親の見栄や欲目を振り捨てることが求められます。ここの詰めを怠ると、後でこんなハズではなかったという事態になってしまいます。

発達障害児の親は、正しい見本が周囲に欲しい(普通学級志向)一方で足りない部分のある自分の子には特に手をかけてもらいたい(特別支援学級・学校志向)、でもより手の掛かる子がいることによる自分の子の放置状態は困る、という客観的には極めてわがままな要求を持っていることを自覚しなければならないと思います。言い換えると、これらを全て満たせるようなBestの解はないということです。Bestが無理でもBetterの解を求め続けていく中で、エイヤーで決める瞬間がやってきて、その後には若干の心残りと後悔と不安の念が残るもんだ、くらいの達観が必要だと思っています。

特に、特別支援学級・学校を選んだ場合、それは学校の教科書に準拠した教育を受けさせないことを受諾するという一面があります。一方で、ゆとり教育じゃなくなって健常児でも普通学級の勉強が楽なものではなくなっているという一面もあります。こういうことをあれこれ勘案しながらの結構重い決断だと思いますが、子供がどこに行くのが一番伸びていくことになるのかを熟考していくしかないだろうと思います。ちなみに、そこを越えてもまた次のハードルがやってきます。

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