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2011年6月23日 (木)

(248) 偏見って

よく、「障がい児(者)への偏見を持たないで!」というような親御さんの書き込みを見たりします。でも、これはもう少し詰める必要があると思います。

障がい児だから、○○するんじゃないの? ○○できないんじゃないの? と予断を以って判断することを偏見とするならば、それは過去見聞きした事実を忘れて、目の前の障がい児だけを見て判断してくれ、ということになると思います。でも、それを主張するならば、親の側も同じことをしていないとおかしいですよね? 端的に言えば、親は自分の子を本当に偏り無く見ているでしょうか? 親自身、その子の過去の実績から離れて見られる人はそうそういないでしょう。療育をする時に、まっさらな状態では最適なプログラムも組めませんし。

こういう矛盾点に気付かないと、いくら言っても誰も耳を傾けてくれません。自戒を込めて言えば、私達親は、自分の子どもが何かやっていても悪く取らないでくれ、奇異な行動には理由があることを理解してくれ、ということを偏見を持たないでと言い換えているだけだと思うのです。表立っては異論をさしはさむ人もいないと思いますが、言われた側もこういう矛盾にはウスウス気付いてしまっていますし、それなのに完全に理解してもらえるということは、恐らく無いでしょう。

人間は学習したことを用いて新しいことに取り組む、つまりある程度予断を以って取り組む方が普通なのですから、偏見を持つなと熱く語るよりも、偏見を持つ方が自然だと受け止める方が現実に即していると思います。だからこそ、それを前提に偏見を持つことを責めるのではなく率直に話し合える雰囲気作りの方がはるかに有益だと思います。

子どもの療育で思いを受け止めることの大切さはよく説かれますが、そういう姿勢は療育だけでなく社会の理解を促進するためにも有益ではないでしょうか。

そんなことを思わないで、ではなく、どうしてそう思うの?と反語ではなく素直に教えてもらうことから始めていくことが大切だと考えるようになっています。

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