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2011年5月12日 (木)

(233) 脱インクルージョン教育

(169)(210)でも触れていることですが、私自身の考えはインクルージョン教育に極めて懐疑的です。(229)で触れた子どもの在籍の可否を投票で決めるという設定はさすがに非現実的ではあるものの、いじめ問題は実際によく聞きますし。

「・・・である」と「・・・すべき」の区別はハッキリして考えないと、議論は堂々巡りになるし、結局出した結論に妥当性が無くなって不幸を招くことになると思います。「いじめはやめるべき」ではありますが、世の中から無くなったことはありません。「いじめは世にありなくならないものである」という事実から話を始めないと、現実に即さない議論のための議論になってしまいます。

子どもが成長するにつれて母親への従属から少しずつ目が外に向いて、社会を学んで他者への許容と思いやりを身につけて大人になるという大雑把な過程を見ると、残念ながら異なるものの排除・拒絶という道徳的には正しくない行為も、その過程の一部に入っていると考えています。更に言えば、その過程で止まってしまう人も少数ですがいます。

周りと違うことによるいじめを受け、自己肯定感の低さで苦しむ発達障害の子が少なくない現状を考えれば、お互いが未熟である成長過程で両者をインクルーシブして教育するメリットは、デメリットよりもかなり小さいのではないでしょうか。「小さい頃からその存在を認め合うこと大切だ」というご意見もありますが、未熟さゆえに相互の多様性を認められる土壌がまだできていないのであれば、やむを得ないことだと認識しています。

例えば、外国人と共に育たないと国際人になれないかと言えばそうじゃないですし、むしろ人種や民族のルツボと言われる国々で相互理解が足りずに紛争が起こっている現実を見れば、一緒に育てば相互の存在を認め合える関係を築けるということも無いと思います。要は外国語能力に加えて人を個人として尊重できる資質を育てることが肝要かと。

「似たもの同士はよく混ざり合う」というのは、私が高校時代の化学の先生から教わったことで、要は水酸基(-OH)を持つ分子同士は混ざり合うし、持たないものと持つものは混ざらない、水と油が混ざらない理由はこれだ、ということです。こういう自然の摂理を無視してもしょうがないでしょう。

これは、自閉の有無だけの問題ではなく、自閉のない単なる知的障害者と健常者が同じ学級にいて学ぶことについても同様だと思います。片方には授業内容が難しく片方には簡単で、休憩時間に会話をしても成り立たない状況であるならば、そこに一緒にいることは双方にとって辛くなる可能性があると思います。そしてこれを敷衍すると、頭が突出して良い子が人間的な深みを持つためには同レベルの子と切磋琢磨する環境が必要なのに自然には出会えない状況だから、意図的に出会える環境を作ることが大切ではないか、そういう環境の方が歪んだ優越感やプライドを持つことも無く、ノブレスオブリージュを意識させることで社会により貢献できるようになるのではないか、と考えています。

なお、自閉系であることをもって知的障害の有無を問わずに同じクラスにしてしまう傾向がありますが、これも上記のように双方にとって辛いことになるだろうと思います。

このようなことになるのは、納税者の多数派の声が政策の大綱を決めてしまう弊害でしょう。「多数派でないもの」の中にも多様性があるのに、それをひと括りに「その他」と分けてしまうのは、行政の事務効率の優先という要請からで、子ども達に良いという判断はなされていないということです。その結果が昔から言われている七五三教育という上に行くほど理解できていない状況を招来しているのであればそれを改め、よくできる子はさらに伸ばす、できない子は教え方を工夫する、それぞれ別の環境を用意するのが本来のあり方だと思います。

今は脱「ゆとり」の流れなのか、小学校も高学年の算数では事実上の能力別授業をやっていると聞きます。それを差別というのは時代遅れだと思いますし、個々人の能力を高めるという教育本来のあり方に戻していくべきだと思います。

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教育制度・環境」カテゴリの記事

コメント

先ほど検索サイトで「インクルーシブ」を検索していたところ、こちらにたどり着きました(笑)
いつも読ませて頂いてるブログなのに偶然ですね!

さて、インクルーシブについてのはじめさんのご意見ですが、私もとても同感です。
というよりこのブログを読んでて「その通り」と感じました。

理想と現実という事は現実論として分けて考えていかなければなりません。
私の住んでいるさいたま市は、「ノーマライゼーション」という考え方でこのインクルーシブを捉えています。

このノーマライゼーションについてもインクルーシブについても私は否定はしませんが、現実論としてはとても難しいものがあると感じています。
それは日本国土特有の統一性の問題とか、様々なことがあると感じます。

しかしインクルーシブを理想の極地と考えると確かにどこかでスタートして考えなければいかんな~ということだは感じているので、インクルーシブにカンテは否定するつもりはありませんが、現実的に「かなり理想の高い考え方」ということを感じています。

マサキングさま

コメント頂きありがとうございます。

障害のある子の親からすれば、本当に実現すればまさに理想的なんですけど、健常児の親御さんからするとどうなんだろう? と考えてしまいます。そこにギャップがあるとなかなか理想通りにはならないよなあと思っています。

本件については、もう少し考えてみたいと思います。

はじめまして。
にほんブログ村の記事トーナメント「教育ブログ#4」でこの記事を知りました。
実に同感だと思いましたので、拙ブログ記事にて紹介・引用させていただきました。

大人の理想論ではなく、子どもの目線で考えると、
インクルージョン教育はかなり無理があると思います。
インクルージョン教育を推進するよりも、
その子の教育的ニーズを満たし、
自尊心を傷つけない配慮が必要ですね。

てんしちゃん さま

お読み頂き、またコメントを頂きありがとうございました。

幼少の頃から、「みんなお友達」「みんな仲良く」と言われ続けても大きくなるにつれてそうならないという現状を考えると、理想は理想で持ちつつも現実に対処する取り組みが必要だと強く思います。

できるようになった満足感とみんなでいることの両立ができれば一番良いのですが、この二つのどちらかを選べと言われたら、私は満足感の方を選びます。それが生きる力に繋がると思っているからです。

またお越し下さい。

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» インクルーシブ(インクルージョン)教育は子どもにとって本当に幸福なのか?~おすすめブログ記事「脱インクルージョン教育」(ブログ名:斜に構えてみる) [てんしな?日々]
何週間か前に、NHK朝のニュース「おはよう日本」で、 重度の障害がある子どもが普通の小学校に入学して、 一緒に学んでいる、という報道をしていました。 (⇒詳しく調べてみると、「2012年10月31日放送」でした。) (NHKのサイトから引用... [続きを読む]

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