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2011年4月27日 (水)

(228) 朝礼というセレモニー

息子は朝礼が苦手です。皆が整列しているのに歩き出したり「帰りたい」とつぶやいたりしているようですorz。
発達障害児の親の立場としては、まあそうだろうなあと理解できます。

そもそも、朝礼って
①全員が揃って並ぶまで待たされる。
②校長先生の話が面白くなく興味が持てない。
③しかも、それが長いことが多い。
④なおかつジッとして聞いていなければならない。
⑤その他の事務連絡も行われたりして、いつまで続くのか見通しが持てない(これ、重要)。

集団行動を取れるようになることも、学校生活で学ぶことの1つとよく言われますが、正直なところこれが後々社会に出て役立つ経験だったと思うようなことはありません。

会社でもミーティングをやったりするじゃないかと言われるかも知れませんが、例えば私の会社の週一の課内ミーティングは、①ほぼ時間通りに始まり、②業務に直結することが殆どで課のメンバーであれば仕事の遂行に必要な情報が多く、③できるだけ簡潔明確に話すことが要求され、④メモを取ったり資料を見たりと単純にジッとしていることはないですし、⑤話が長くなるような個別の案件については、別途本当の関係者だけで集まる機会を作りますから、学校よりも会社の方がずっと定形的であり構造化されているように思います。

実際、健常だと思っている自分自身、朝礼で楽しかった思い出はない(少なくとも素晴らしいお話に随喜の涙を流した記憶はない)わけで、セレモニーをやること自体が目的化していないか、あるいはやる側の自己満足になっていないかをチェックすべきではないかと考えています。

式次第とタイムスケジュールの明示をするだけでもだいぶ変わるのになあと思いますし、それがいやなら出たい人だけ出る、ということでも良いのではないかと思います。それで出たくない人が多くなるようであれば、このセレモニーの進め方に改善すべき問題があるということではないでしょうか。

出ることに意味がある、というのであれば、それはどういう意味なのかを更に問われることになります。教育的意味というのでは、トートロジー(同語反復)、要は同じことを別の言葉で言い換えているだけでしかありません。○○ができるようになる、という具体的な目標が無いと努力しにくいものです。

朝礼の目的が、全員への情報の伝達なら各担任がお話しするか或いは紙で配ればよく、全員で集まる必要性があることってよほどのことになると思います。全員を集める側にもその必要性について説明できないのであれば、それはやる必要が無いということです。

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