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2011年2月

2011年2月26日 (土)

(215) 障害者に配慮した秩序の成否

まだこん平師匠が元気だった頃、笑点でこん平師匠が「わたしゃ難しいことはよくわかりませんが・・・」とおっしゃってましたが、障害者が健常者の望む像を押し付けられているというご意見に対しては、同様の思いを持ってしまいます。

確かに、今の社会秩序が健常者によって作られていて、それに沿うように直接・間接に要求されていることは事実だと思います。

では、どうするか? 恐らく3つ方法があって、1つは障害者と健常者の完全分離、1つは現状維持、最後の1つは新しい社会秩序の創出のどれかだろうと思います。

今回問題提起されている方々の立場からすれば、障害者が健常者の望む姿を押し付けられることなく社会の一員として生きられるのが当然となることを志向されるでしょうから、完全分離は論外、次に現状に問題があると言っているのですから、現状維持も論外となります。よって、新しい社会秩序の創出に向かわざるを得ないと思うのですが、これ本当にできるの? と疑ってしまうんですよね。

同じ社会の中で、健常者と障害者で異なる社会秩序を構築するというのは社会の一員という視点から論理矛盾であって、もし障害者ができないことはやらなくても良い、という秩序を構築するなら健常者も同じことをやらなくても良い、ということにしなければなりません(やるべきことをできないことは免除する、というのと最初からやらなくて良いことにするのは違うと思っています)。これは、かなりの変革を伴うこととなり、今の秩序を支持する人達に受け入れてもらうためには理と利から説得しきれない限りまず無理だと思っています。よって、こういう実現性の低いことをあれこれ考えることに対しては、「わたしゃ難しいことはよくわかりませんが・・・」というスタンスになってしまうのです。もちろん、自分も障害児の親としてもっと社会が理解してくれないかな、という忸怩たる思いはあるのですが、他面でリアリストとしての自分がそれは無理だと判断しております。

障害者が何か社会秩序に反することをしてしまった時に、その親等がつい言ってしまう「障害があって〇〇ができないんです」という言葉は、やられた側からすれば何の言い訳にもなっていません。障害者か健常者かなど関係なく、誰にやられてもイヤなものはイヤなのです。そもそも今、概念として障害者・健常者と言っていますが、首から名札をぶら下げているわけでもなく、外見から障害者・健常者を見分けることなど困難な場合も多いのですから、社会秩序は両者に共通のもので構築されている必要があると思います。

ということで、健常者が作り上げた現在の秩序に従わざるを得ないのですが、これがそんなに悪いものなのか、ということも考える必要があるでしょう。現在の秩序は、どんなことでもできないよりはできた方が良い、より付加価値が高い方が良いというナチュラルな人間の感情に基づいていると思っており、これを否定にかかるのは実際困難だと思います。あいさつだってできないよりはできた方が良い、実際「最近の若者はロクにあいさつもできない」と毒づくオヤジがたくさんいるわけですから、まずはできるようになることを目指すべきだと思います。形式的だ、意味がわかっていないのに教えるのはいかがなものかという意見もあるようですが、やらない理由探しをすることが障害者の生きやすさにつながるのかをよくよく考える必要があると思います。

2011年2月23日 (水)

(214) 会話スキル向上のために

会話能力がまだまだ低い息子は、帰宅後に「学校でいやなことをされたor言われた」とポツッと言うことがあります。じゃあ、「いつ」「誰に」「何を」「どのように」されたのかということを聞いてみるのですが、うまく伝えることができません。結局ウヤムヤになってしまいます。

たまたま「〇〇君に押された」と言ったことがあって、調べてみたらそれはだいぶ前のことだと判明したこともあります(その日は〇〇君、風邪で休んでいたので・・・)。いわゆるフラッシュバックだなと認識しました。

ということで、これではいかんわなと認識し、夫婦で息子と意識的に話すようにしています。学校から帰ったら、「今日の授業は何だった?」とか「給食は何を食べた?」とか「宿題は何か出た?」とかとか。そういうところからやっていくしかないなあと思っています。

考えてみれば、英語を学習する時もそういう基礎的な内容の会話から始めていくわけで、日本語でも不自由な状態であれば、同様に対応するしかないと思います。また、こういうことを積み重ねれば、息子も日々のできごとにより注目するようになるでしょうし、記憶して伝えることができるようになっていくだろうと目論んでいます。

これらが少しでも会話スキルの向上につながると良いのですが。

2011年2月19日 (土)

(213) 息子の評価

療育機関での相談や主治医の面談が近接してありました。

総合すると、

・良からぬ行動に対し叱るとグダグダになって更に状態が悪化するので、良くない行動は制止するに留める。

・逆に誉められると実力以上の力を発揮するので、良い行動はすかさず誉めて強化する。

・プライドが高いので、おだててプライドをくすぐるようにする。

・療育次第で更に伸びる。他にもある良いところを開花させることが今後の課題。

というような感じになります。

また、先日、学校公開があって妻が見てきたそうですが、前回のように授業中他の関係ないことをやったりすることもなく、離席もなくやることをやっていたし、傍目には普通に見えたとのことだったので、それなりに成長しているようです。

この成長を阻害することなく、望ましい行動を増やしていくと共に本人の好奇心を高めてやる気を育てること、失敗することは決して恥ずかしくないと教えることで、自分の能力を高めていけるようになるだろうと期待しています。

理屈はその通りだと思っているのですが、それが伴うかは結果次第です。EBM(Evidence-based medicine)的な視点で見ればいかがなものかということになってしまうことはわかっているものの、それは致し方ないことだと割り切っています。

2011年2月13日 (日)

(212) 転進も視野に

あらかじめ申し上げますが、今回の記事は地方の場合そういう選択肢が少ないあるいは無いことも多々あることは重々承知しており、結果として参考にならない方も多いと認識しています。

療育先の先生に来年度の展望について相談したところ、先生からは「いじめなどの問題を気にされているなら、私立でかつて障害のある子を受け入れた実績のある学校への編入もご検討されたらどうですか」と言われました。そして、その療育先に通っていた子が編入した学校の名前をいくつか教えて頂きました。

今のクラス状況をひと言で言うのは難しいですが、まず息子の「天衣無縫」さにイラついているお子さんがいてその子とトラブルになることがあるようです。彼は逆の発達障害がある(ルールの遵守至上主義)のではないかと個人的には疑っていますが、息子が脱走したりする際には、担任の先生が「それは先生の仕事だからやらなくてよい」と言われているのにも関わらず、その子が息子を追いかけて捕まえるとのこと。息子も、脱走しているのはよろしくないわけで、謙虚に反省すれば良いのですが、そういうレベルには達しておりません。

また、周りのクラスメイトも段々息子に対しては厳しい目を向けてきているようであり、いつそれが先鋭化するか、これは神のみぞ知るところだと思っています。

転校・編入カードは、そうそう切れるものではありませんし、当たり前ですができれば切らずに済ませたいとも思っています。いじめなどが発生しても、まずは担任の先生と善後策を話し合って解決していくのが基本だと思っています。

一方で、いざという時にオタオタしないよう情報は集めておいて損はないなあと考えており、開いた時間で見学に行ってみようと思います。

守るべき究極は子の命であって、最後は不登校という手段もやむなしだと考えていますが、そこに至ってしまうとリカバーも大変です。そうならないようできること・打てる手段を常に複数確保していけるようにしたいと思います。バンザイ突撃よりもレジスタンス活動です。

2011年2月11日 (金)

(211) 汎化に失敗?

息子が週に何回か個別指導を受けていることは書いたと思うのですが、個別指導の先生とは相性が宜しいようで、先生の指導だとすごくやる気になります。

ところが、同じことを教室に戻ってやらせようとすると嫌がったりふざけたりしてあまりやらなかったりするようです。

そんなわけで、今度学習発表会があるのですが、学校側の配慮で個別指導の先生に傍についてもらうことにしてくれました。

これって汎化に失敗していることになるんだろうなと思ったりもしますが、健常の子でも安心感を感じさせてくれる人が傍にいたら実力をフルに発揮できることもあるわけで、どうしたもんかなあと思っています。

2011年2月10日 (木)

(210) 軽度発達障害に特化した教育

息子が曲がりなりにも小学校に入学してもうすぐ1年になろうとしています。来年度通級指導を受けることも決まっているのですが、クラスに数パーセントいるとされる軽度発達障害児に対してどのような教育をすることが望ましいのかを考えてみました。

まず、そういう子を集めた環境で勉強させた方が良いだろうと思います。今のインクルーシブの流れからは逆行するようですが、似た個性のある者同士の方が親近感も湧いて交流も深まりますし、先生も指導がしやすいと考えます。更に言えば、インクルーシブをやるのであれば、それなりに徹底した指導ができなければ単なる理想論・空理空論に堕してしまうと思います。長引く不景気感で障害者等弱者へいらだちをぶつけるかのような事件が起こったり言論が沸き起こったりするのを見るにつけ、その思いは深くあります。

一クラスの人数を15人程度とし、基本的に授業は淡々と進め、一斉指示に従いにくい子に対しては、補助員がフォローをするといった対応を行います。そして、放課後は個々の子の特性に合わせて補助教材を使った補習を行ったり、課外授業のようにSSTを行ったりするということでどうかなと思います。もしこのような学校があれば、通わせたいと思う親も少なくないと思うのですけどね。

このようなすみわけが行われれば、健常の子との軋轢も避けられるし、発達障害の子のイジメや不登校問題も軽減されることが期待でき、社会適応性の高い子が育てられることから、後で福祉の世話になる率も下がって社会的にもメリットがあると考えます。

現状発達障害の子を受け入れている学校を見学すると、なぜか学力は二の次にされてしまっているような印象を受けます。そこでは、大学なんか行っても社会性の低さが治るわけでもなく、結果として就職活動をしても面接で落とされたり入社できても周りとうまくいかずに退職に追い込まれちゃうから、変なプライドが生じる大学への進学よりも手に職をつけてコネのある就職先で頑張った方が良い、とされてしまいます。これで本人が納得した人生を歩めるのであればそれでも良いのですが、知的に高ければ高いほど成長する過程で不調和が生じていくと思います。それなのに独り立ちできることが大事で、本人が我慢すれば良いというのは、本当に正しいのでしょうか。

大学を出ても就職できないなら、できる作業所を作れば良いのではないでしょうか。足りないところを補えば、下手な健常集団にも負けない仕事をできる可能性もあるのだから、そういう方向性で考える時代にきているのではないか、と閉塞する日本を見ていてそう思います。

2011年2月 5日 (土)

(209) 健常の子でも

思ったままのことを言うことはあります。

この前、妻が息子と買い物をしていた時に、クラスメートとばったり遭遇したそうです。その時、そのクラスメートは妻に「息子君は、病気なの?」と聞いてきたそうです。普段の挙動不審さについて述べているのだと思いますが、思ったままを口に出すことだけを取り上げれば、この子も発達障害か? ということになってしまいます(実際、まだ幼いからだということは承知していますが)。

いつまでが幼さによるもの、いつからが発達障害に起因する(空気読めなさによる)ものなのか、この線引きはとても難しいと思います。それこそ、声の大きいものの主張が通ってしまうだけのような。

なお、妻はその子に「息子は、苦手なことが多いけど病気ではないんだよ」と言ったそうです。完全に納得してくれたわけでもなさそうだったそうですけど。

まあ、以前にも書きましたが、近所の公園で「この子、頭おかしいの?」と聞いてきた子もいましたし、まだ幼さのせいだとすることで考えることとします。

2011年2月 2日 (水)

(208) 久々に早く帰宅

今回は、極めてありふれた内容で申し訳ありません。

ここのところ残業続きで当方の帰宅時には子供たちは寝てしまっており、朝の30分程度しか時間を共有できない日々が続いておりました。

今日は、久々にまだ子供たちが寝ていない時間に帰宅することができました。娘が玄関に飛び出してきて「お帰り!」と言ってくれました。息子は奥の部屋でカレンダーを見ていて、ちらっとこちらを見た時に「ただいま」と言ったら「お帰り」とつぶやくように言ってまたカレンダーを見ていました。

スーツを脱いで、ハンガーにかけていると息子が奥の部屋からやってきて、もう少し愛想よく「お帰り」と言ってくれました。どうやら、カレンダーを見るのに夢中だった時はこちらへの関心がかなり低かったようです。

その後は私も入浴し、その間に子供たちは寝入ってしまいましたが、わずかなコミュニケーションでも久々だと何となく嬉しいものだなあと思ったことでした。

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