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2011年1月

2011年1月29日 (土)

(207) 個別授業

息子は、週に何コマか個別授業を受けています。

個別と言ってもマンツーマンではなく、指導に配慮が必要な子を集めてより本人に適した方法で教える、というものです。

今まで3人だったそうですが、最近新しくメンバーが増えたようです。その子も前々から落ち着きが無いという評判のお子さんだったそうで、話を聞いた妻の印象は「やっぱりそうだったか」というものでした。実際には、もっと潜在的な需要はあると憶測しているのですが、授業への集中程度というのは定量的に把握できるものでもありませんし、親や本人の認識や意思やプライドによって実際にそのような支援を受けるかどうかについて差が出るのは仕方がないことですね。

ただ、残念なことにこの個別授業は2年生になるとコマ数が減るそうです。学校の認識は1年生の学校生活への適応(もっと言えば軟着陸)への支援を主目的としているようですので、1年生に配慮が厚くなるのは致し方ありません。この点で、この障害が治るものではない(∴学年が上がったら配慮が減っても大丈夫とはならない)という親の認識とはギャップがあると感じております。

一方で、個別授業ではなく、みんなの教室にいて、その脇について先生の一斉指示を個別の先生が補助するということができないかなという思いもあります。その方が、教室にい続けられるわけですから。

その昔、「這えば立て 立てば歩めの親心」の句になるほどと思ったことがありましたが、子の成長を願う気持ちは常に親の思いにあって、今は教室内で皆と一緒に授業が受けられるようにならないかなということなのだろうと思います。もちろん、それが簡単にできない息子の状況を認識していてはいるのですが。

2011年1月22日 (土)

(206) 働くことを考える

上岡一世著「自閉症児のY君が就職するまで━母と共に歩んだ指導の記録」(明治図書)を読みました。この本は、言葉の出ない自閉症児のY君が、高等部時代に教師と母親にサポートされつつ能力を伸ばして就職できるようになる(就職後の様子も若干出てきますが)までの様子を、主に指導記録(教師と母親の両方が記入)からの抜粋でつづった内容で、一つ一つの課題を根気よく習得させるよう努めた教師と母親、そしてその働きかけに呼応して成長してきたY君の様子が詳細に記載されています。ここまで持ってこられた努力に素直に敬意を表します。

著者は「働くこと=障害児の幸せ=実社会で堂々と生活できる」というスタンスでこの本を書かれているのですが、この本が書かれてから25年が経過した今、全く別のところで起こっている某社長の「恥ずかしいのは大人になっても自分でご飯が食べられないことだ」というコメントからスタートする騒動について考えてみました。

結論から言います。憲法13条で保障される「個人の尊厳」を達成するために各個人が自己実現に向けた取り組みをすることは疑いなく肯定されるべきものである一方、自己実現=自分でご飯を食べることではない、と考えます。正確に言えば、自分でご飯を食べられるようになることは、自己実現に向けた取り組みの発現形態の一つではあるのですが、それ以外の形もあり得る、ということです。その個人個人が納得した人生を歩み、それが社会のあり方とバッティングしない限りにおいて、他人がとやかく言うことではないなと思います。

ただ、大多数の人間が事実としてやっている「自分でご飯を食べること」について、親が本人の意思を無視または確認することなく最初から諦めるようなことは、恥ずかしくはないが宜しくもないと思います。単にパニックを恐れて負荷をかけないというのは親の自己保身であり論外としても、不得手であってもできるところまではやってみるという姿勢を持つことは、健常者だけでなく障害者にとっても望ましいことです。助け合いが大切だとは言われますが、助け「合い」はみんなが助けられる側にばかり回れない=助けることができる人の存在を前提としているわけですから、必然的な帰結だと考えます。

健常児も障害児もいずれは学校を終え、社会に出る時がやってきます。また、通常の場合親は子どもよりも先に亡くなります。その遠く見えるが日々を送るうちに確実に近づいてくる時を見据え、できることを増やす努力を継続していくことはとても大切です。

なお、ここで思うのは、健常児は自己実現のため自己の全ての能力を賭けて社会に挑戦していくこととなりますが、障害児はそれが難しいことがあり得ます。健常児の自由競争社会に対し、障害児は規制社会になる部分がある点で差は生じるな、と思います。とはいえ、それが本人と社会とで折り合えている限り、特段問題にはならないことだと思いますし、それで社会が回り、成り立つのならそれで良いことではないでしょうか。

2011年1月16日 (日)

(205) 他にもいる

13日、息子が学校から怪我をして帰ってきました。

息子が奇矯な振る舞いをすることによくない感情を持っている同級生がいて、たまたま何かの拍子に息子の手が体に当たったことに立腹して息子を突き飛ばしたらしく、息子が転倒した時に、顔面が何かに当たって怪我をしたということらしいです(両者を呼んでヒアリングをした担任の先生のお話によると、ですが)。

担任の先生が電話で状況を説明してくれたのですが、曰く「その子は感情が高ぶると押さえられないところがあって、息子君だけを狙っているわけではなく他の子に対しても時として手が出る」とのことでした。幸い怪我は大したこともありませんでしたが、ちょっとズレていたら目にあたっていた可能性もあること、および相手の親から何ら対応が無かったことから、さて今後どうしたものかと思ってしまいました。

正直なところ、やっぱりその子も発達障害系じゃないのかな、と疑う自分がいます。以前小学校に入学する前に息子の件で校長先生にお話に行った時に、「今年の入学生では、息子ともう一人そういうお話を聞いております」ということでした。ただ、そのもう一人は今回の相手方とは別の子だと知っておりますので、親が気づいていない、あるいは気づいても対処されていない子っているんだなあと認識を新たにしました。

息子は、14日も普通に学校に行きましたので、このことが不登校につながることはなくホッとしています。

2011年1月15日 (土)

(204) 息子の寝かしつけ

twitterの方にはチラッと書きましたが、娘が気管支炎をこじらせて入院しています。もう1週間になります。

妻は、平日は息子を小学校に送り出した後帰宅するまでの間病院に通って付き添っています。息子を一人で家においておけないのでこのような時間配分となるのですが、妻が家に帰ろうとすると娘に泣かれて切ないとこぼしていました。

今日は私がお休みということで、日中は私が病院に行きました。私が帰ろうとすると妻と同様に泣かれました。慣れることってないんですね、平家物語の俊寛を思い出しました。後ろ髪を引かれる思いでしたが帰宅し、夕方から夜寝るまでは妻が代わりに行くこととしました。結果として、夕飯・風呂入れ・子ども部屋の片付け・寝かしつけは私の担当となりました。

淡々とこなして寝かしつけている時に、息子に入院のことを話してみました。

「妹ちゃん、月曜日までは入院すると思うよ」「どうして入院しているの?」「病気がひどくなったから」「病気治らないの?」「良くなってはいるんだけどね。妹ちゃんがいなくて、寂しい?」「うーん、困ったなあ」(何を困っているの?)「いない方が良い?」「お母さん、帰ってこない?」(おいおい!)

というように、だんだんかみ合わない会話をしながら、しまいには「どうして布団の中は狭いの?」という意図がわからない質問に私が頭を悩ませているうちに、息子は寝てくれました。まあ、これでもエコラリアばかりだった時のことを思えば、かみ合うところも多少出てきているので、ヨシとしようと思います。

2011年1月 9日 (日)

(203) 障害者の正しい受け止めとは

「名誉健常児」に関わる論争もとりあえず一服しつつあるようです。

これに関連するやり取りを見ながら、じゃあ障害者をどのように受け止めるのが正しいんだろうと考えてしまいました。

健常児としての振る舞いができないから障害児であるのに、健常児のまねをして同じあるいは近似した振る舞いをしろと強制するのは論理矛盾なんですよね。また、そういう振る舞いを強制するのは自分の価値観の強要でしかありません。

でも、障害児側も自分が障害があると常にアピールしているわけではありません。社会的に許されにくい行動をしている人を見れば、普通は不快に感じるでしょうしそのことを責めてはいけないと思います。また、子どもから見れば、A君がやると怒られるのにB君は怒られないのはなぜ? ということになって、それを子どもの頃から理屈で理解しろとは言えないだろうと思います。

結局、原則と例外という関係で規律するしかないのかなあと思っていますが、まだ最終的な整理にはなっておりません。

2011年1月 4日 (火)

(202) 障害児を育てること

Twitterで「そうだよな」と感じた書き込みがありました。ひと言で言えば、「障害のあるわが子を天使だと持ち上げないで」というコメントでした。

実は、ちょっと前に参加した自閉症の子を持つ親を対象とした講演会で、自閉症児を育てた先輩父母のお話コーナーがあり、そこでその先輩さんが心の支えにしてきたという詩「天国の特別なこども」(この詩をネットで検索すると結構ひっかかります)を紹介されたのですが、その時に感じた違和感に通じるものがあるように感じました。

確かに、ブログ等でも障害のあるお子さんに関して「天使」という言葉は散見されますし、そのブログオーナーがお子さんを愛し育てておられることは存じております。

けれど、端的に言ってしまいますが、出産前から障害を持って生まれて欲しいと願っていた親はいないでしょう。言い換えるなら、親は子どもに対してあらゆる能力に秀でていて欲しいという山のような期待を持ってしまうものだということです(これを昔の人は「親ばか」と表現しています)。障害というのは、一部(もしくは全部)の能力がかなり低くしか発揮できない状態のことですから、わが子に障害があるということは、親の当初の期待が叶えられず、ここでショックを受けることとなります。

そのショックから立ち直るのに、「この子が私のところに生まれてきたのは、何らかの特別の意味があるはずだ」と思うのはその時の方便としてはアリだと考えますが、周りがそう言って決めてかかるべきものではないでしょうし、親本人もいつまでもその思いを持ち続けるべきではないと思います。なぜならば、結果としてありのままの子どもを見つめることにならず、正しい親子関係の構築や適切な療育の選択の支障になりかねないからです。

人類を俯瞰すれば、一定の確率で障害を持った子が生まれてきています。それがたまたまウチに来ただけで、それに意味があるということは無いわけです。「天国の特別な子ども」の詩の作者に対し「全知全能の神であるならそもそも障害を持った子を作った理由は何?」と問い詰めても答えはないでしょうし。

とはいえ、親の思い通りにならないのは健常の子だって同じです。スポーツ万能でイケ面で頭も良くて性格も穏やかでそれでいて芯が強くて、って子はこの世にいないとは言いませんが、ものすごく少ないでしょう。大多数は出来不出来のある子であり、その子の不出来な部分だけを取り上げて「この子が私のところに生まれてきたのは、何らかの特別の意味があるはずだ」と考えることはまずないことです。それでも、大抵の親は子に愛情を持って育てています。

もちろん、特別な意味が無くても一緒に生活しているうちに愛着は生まれますし、愛情も湧いてきます。「特別だ!」と肩肘張ることなく自然体で子と向き合えるようになった時に、障害児を育てることの真の楽しみが見えてくる、今はそう考えています。

2011年1月 2日 (日)

(201) 今年の展望

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

息子も長い冬休みが終われば、第一学年の3学期となります。既にこの学年の75%を終えたことになりますが、2学期も終わりに近づいたあたりで、あまり通学についてイヤイヤ言わなくなってきました。やっと「学校には行くもんだ」という認識ができてきたのかなとホッとしています。これは継続したいです。

寺子屋では、「読み書きそろばん」を教えていたそうですが、息子は「読み」は恐らく同級生でもかなり上だと思います。そもそも4歳になる前にはひらがな・カタカナに加えて簡単な漢字も読めていました。

では書く方はというと、五体投地したくなるくらいひどかったのが少しマシになってきています。1学期は大き目のマスにすら字が収まりませんでした。(189)にも書きましたが、テストの氏名欄は苗字が馬鹿でかく、結果として名前を書くスペースがやたら小さくなり何とか努力はするものの結局入りきらずにアンバランスこの上ない字の並びになっていました。それでも、今はマスには収まるようになりましたし、だいぶ読める字を書けるようになっています。息子の場合、手首をクリッと回すことが苦手で、それが字の下手さにつながっているわけですが、これは療育を始めたばかりの頃、体のマッサージとして手首足首を回すことを教わっており、その頃に毎日やっていたことが少しは役に立っているのだろうと思います。当時は正直何の意味があるのかと思っていましたが、意味があることをやっていたんだなと感心しています。

「そろばん」は算数だと理解していますが、こちらは3つの数字の足し算(ex.8+5+4)までできているので、当面大丈夫かと思います。

ということで、学業的にはやるべきことを継続していくより他に取り組み課題が見当たりませんが、やはり人付き合いは全くと言って良いほどうまくできておりません。妹とは一緒に何かしようとするのですが、友達と何かしようとするところが見られません。すでに友達は息子からすると複雑なやりとりをやっているように見えるのでしょう。そういう中に入っていく努力を放棄してしまっているのかも知れません。いずれもっと人を求める時が来る、とは言われておりますが、それがいつかはわかりませんし。

やっぱり、最後は人との関わり方という課題が残るんですね。幸い、通級についての申請も許可が下りそうだという話になってきていますので、そこで周回遅れでも学んでついていってもらうしかないな、と思っています。

それでは、今年もよろしくお願いします。

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