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2010年12月

2010年12月31日 (金)

(200) この一年を振り返って

この一年お付き合い下さった皆さん、ありがとうございました。

元々はホームページの1コーナーを独立させたこのブログですが、正直読んでもらえるのかなあ、という思いがありました。拙文の不出来さもさりながら、高機能広汎性発達障害に属する子どもは親御さんがちょっと変わっているだけ、と診断を求めないことも少なくないことから、高機能広汎性障害児の子どもについてのブログってニッチなものだろうなと思っておりました。

幸い(なのかどうかは不明ですが)、ここのところコンスタントに二桁前半のアクセス数をカウントしており、まずは良かったと思っています。読んで頂き本当にありがとうございました。

週1ペースを基本としておりましたが、それでも書くことって段々無くなってきます。そうそう毎日変わったことがあるわけでもありませんし。そうなると子どもの日記じゃありませんが、「先週と同じ」で済ませたくなったりもします(笑)。そうもいかないなと思って書いてはみたものの、なんとなく昔書いたものと似たような内容になっているところもあるかと思いますが、事情ご賢察頂きご寛恕賜りますようお願いします。

この一年を振り返ると、息子は幼稚園の年長から小1になりました。しかしながら、率直に申し上げてこの間で本人が自律的に行動することはできませんでした。毎朝妻が起こさないと起きませんでしたし、朝ご飯・歯磨き・トイレも言わないとやらない(時には、言ってもやらない)状態でした。加えて、小学校に上がってからは、「いや」「行かない」等と言い出したのをなだめすかして登校班の集合場所まで妻が毎朝送って行きました。このあたりの妻の努力を称えたいと思います。

私も何もしていなかったわけではなく、息子が家を出る時には必ず「行ってらっしゃい」と声をかけ、「行ってきます」と返事が来なければ返事を促し、次に返事をする時に目があらぬ方向に向いていると「お父さんのお顔を見て!」と言い続けました。この結果、今では目を合わせて行ってきますと行ってくれるようになりました。もちろん、その後は家に残る妹を起こして朝食を取らせたりというようなことをしながら、夫婦で育児においてできることをやってきました。

それらが完全だったと言うつもりはありませんが、この1年間で息子は伸びました。兄という自覚も出てきたので、「さすがお兄ちゃんだね」と誉めることを強化子にし、それでさらに力を伸ばせたと思います。この子は、叱るよりも誉める方が伸びると分かったことから、よほどのことが無い限りは、叱らないように気をつけました。

とはいえ、3学期もまたどうなることかと案じているのも現実で、とにかく不登校にならないようにはしないと、と妻と話し合っています。

まだまだ、どうなるかわかりませんが、できることを少しずつやっていくという姿勢は変わりませんし、変えられないと思っています。

最後になりましたが、よいお年をお迎えください。

2010年12月28日 (火)

(199) まずは生きること

生存は社会参加よりもより原始的であるがゆえに個の存在の大本だと思います。しかしながら、幼少時に療育手帳等の取得をしなかった知的障害の無い発達障害者の場合、その生存が保障されていないのが実態です。「自分でご飯を食べられないのは恥ずかしい」等という発言が物議を醸していますが、こういう社会参加について議論する前に、前段となる生存(強いて言うなら、「自分でご飯を食べられないだけでなく誰からも助けてもらえず、路上生活」)についてももっと議論されるべきではないかと思います。

福祉は、個々人の足りない部分をきめ細かく補う形であるべきですが、発達障害者で知的障害が無い場合、全くと言って良いほど福祉の手は届きません。そもそも本人に自分が発達障害者であるという認識が無い場合が少なくありませんし、発達障害者支援法に基づく援助の受け方を知っていることもあまり無いからです。

例えば、発達障害で周囲とのコミュニケーションに軋轢が生じて、勤務が続けられなくなるような例はよく聞きますが、福祉にたどり着く確率はかなり低いでしょう。その方面に明るく気の利いた人が職場にいたら、発達障害者支援センターを紹介してくれるくらいはあるでしょうけど。

現状において、精神障害者への精神障害者保健福祉手帳と知的障害者への療育手帳はありますが、発達障害者福祉手帳はありません。従って、知的障害の無い発達障害者は、社会に出て挫折してを繰り返し、心を病むという二次障害を負って初めて精神障害者保健福祉手帳の取得が可能になるというお寒い状況に置かれています。生活保護の申請も同様で、この段階に至るまではほぼ認められないこととなりますが、そもそもこのような状況は、本人にとってだけでなく国家的にも大きな損失ではないでしょうか。まずは発達障害も医師の診断によって認定されるものである以上、独自の手帳制度を作るべきだと思います。

次に、このような状況についてですが、周囲の無理解だけを責め立てて解決する問題ではありません。周囲への啓蒙も必要ですが、本人が正しく自己決定できるための自己認識をきちんとできるようにすることが大切であり、親と本人がそれぞれにケアされるようなしくみを、乳幼児健診も絡めて構築していくことが求められていると思います。

知的障害が無い発達障害者は、知的障害が無いだけに妙なプライドを持ってしまい、それが自立の妨げになることが往々にしてあります。しかしながら、できないことは助けてもらっても恥ずかしいことではない、ということを教えていくことは、後々絶対に役に立つだろうと思います。

ただ、福祉は有限であり、当たり前ですができることは自分でできるようにすること、さらにできることを増やそうとすることは大事です。これを否定される方はいないと思いますが。

2010年12月27日 (月)

(198) 妹のこと

たまに妹のことも書いてみます。

妹は今年幼稚園に入りました。幼稚園は息子と同じで、担任の先生に言わせると「何でも良くできるので、つい目が行かなくなってしまって申し訳ありません」だそうです。まあ、年少さんだとまだまだ手がかかるお子さんも多いということでしょうか。とはいえ、入園時点では紙おむつを当てておりました。幼稚園でもトイレトレーニングを受けてやっとそちら方面は卒業した感じです。また、お遊戯会では、歌は歌ったけどダンスはやろうとしませんでした。どうやら、衣装が気に入らなかったようで、ちょっとした不快なできごとがあると途端にグズグズになる癖は、なかなか直りませんねえ。

帰宅後、息子と遊ぶこともありますが、どちらかというと外に出て行って他の子と遊んだりすることが多いです。息子に対しても「一緒に行ったら」と水をむけてみますが、友達と関われないせいか大抵は家にとどまることとなります。

夕食の前後は息子と仲良く遊んだり喧嘩したりとめまぐるしいのですが、ベースは仲良しなんだろうと思います。喧嘩してもしばらく経つとまた一緒に遊び始めますし。力関係を見ると、年少の妹と小1の息子では何とか息子の方が優位を保っていますが、口喧嘩となるとほぼ互角です。息子の幼さもあるのですが、それを差し引いても女の子の口が達者だなと思います。カミさんもたまにアレコレ言われていますし。

妹は、息子にとってはちょうど良いソーシャルスキルトレーナーになっている面があります。親にできない関わりをする(言い換えればちょっかいを出す)ことは、息子の発達にも良い効果を与えていると思います。少なくとも、一人っ子だったら、今ほどのレベルには到達していなかっただろうと推測されます。

息子が妹を頼りにしている部分は間違いなくあって、例えばちょっと遠出した時に、子どもの遊び場があると、息子は妹を誘い、妹と一緒じゃないと近づこうとしません。妹と一緒だから安心だ、というライナスの毛布のような効果があるのかな、と感じています。

息子の療育の関係で、妹にはいろいろと不自由な思いをさせているという自覚はありますが、夫婦で分担して娘と親の時間も確保できるように気をつけてはいます。

(197) 四方の海

「四方(よも)の海みな同朋(はらから)と思う世になど波風の立ちさわぐらん」は明治天皇の御製であり、昭和天皇が開戦前の御前会議で戦争反対の思いを立憲君主としてできる精一杯の方法として引用して伝えたものだとされています(異説はありますが)。

健常・障害というレッテルを貼って、相互に対立するような図式は、この歌の前ではあまりにも卑小なことだと思います。こういう粗雑なグルーピングによるレッテル貼りとそれに基づく安易な分析の弊害が昨今とみに大きくなっているようで、個体を深く見るということがおろそかになっているのではないでしょうか。「あの子は障害があるから」のひとことで、それ以上の関心を示さないのはいかがなものかと思います。

また、逆に「うちの子は障害があるから」等と障害を言い訳にしている例もよく見ますが、これはまた良くないと思います。特に、何か社会的に宜しくないことをやってしまった時に、やられた側としては「障害の有無は関係ない。やられたことがイヤだ」と思うのが普通であり、これは健常・障害に関係なく社会で生きていくために必要なことはキチンと学ばせなければならないことを表していると思います。言い換えると、どんなに障害が重くても許されない行為というのはあって、ここは療育過程で譲ってはいけないということです。

世の中にはいろいろな人がいることを認め尊重することは大切ですが、その前提としての最低限の社会性を身につけることも大切だと思います。この歌は、前者だけではなく後者にも気付きを与えてくれるような気がします。

2010年12月25日 (土)

(196) 自分たちだけの道

ここのところ自閉症界(あるんか、そんなもん? という突込みが入りそうですが)では、とある社長さんに関わる議論があちこちで散見されます。

言霊の幸ふ国なのに攻撃的な言葉を吐き、訴訟をちらつかせて圧力をかける姿勢は全く評価しませんが、療育に対する考え方についてもそうかというと、ちょっとためらいがあります。

障害児の親は、どうしても我が子第一の視点から社会を見る傾向があります。呪縛と言っても良いかも知れません。他に代弁してくれる強力な存在があるならともかく、親を除くと障害児の味方は少ない(それが良い・悪いは別の議論です)以上、これはやむを得ないことだと思います。わが子の幸せ、家族の幸せを目指すのは基本的な欲求であり、それを否定するものではありませんが、じゃあそれが社会の幸せにつながっているのか、という視点も併せ持つ必要があると思います。

この兼ね合いを無視してしまった時、社会と軋轢が生じるのはやむを得ないことで、このことを以って直ちに「社会的弱者である自分たちを守るのが当然、そうしない社会が悪い」と言うのは短絡に過ぎます。そもそも、健常児の家族においても、100%社会に満足ということはあり得ず、まあまあのところで妥協しているわけですから。

また、最近の傾向として子どもの自発的な意思による行動が大切であ(り善であ)るという主張が声高に叫ばれ、強制的に何かをやらせることはその自発の芽を摘む行為であ(り悪であ)る、という2元論が顕著になってきているように感じますが、これも本当にそうか?という疑問があります。

「強制は良くない、本人の意思を大切にしないと」という崇高な理念の前提には反論しづらいのですが、発達には適した時期があって、標準的な健常児とは異なるもののそういう時期は障害児にもあると考えており、それを逃すとその能力の獲得が困難・あるいは不能ということが起こるリスクは容易に想像できます。そして、自発的な意思を待っているうちにその時期を過ぎてしまった場合、これを「本人の意思」の結果であり、それが最大幸福だというのは無理があると思うんです。

もちろん、鉄拳制裁をしたらできるようになる等と言うつもりは毛頭ありませんが、環境を整え自発的な意思が表現しやすくなるようにすることに加え、少なくとも何らかの働きかけをし続けることは必要だと考えます。これは本人が嫌がったら途端にやめるというのではなく、一旦中断しても、機会を改めて再度働きかけるという粘り強さを持って、ということです。やらない理由探しは健全ではありません。

一方で、一言で障害児と言っても子は元々の能力に凸凹がありそのユニークさは千差万別です。更に、そのユニークさに対して得られる社会的援助も子によって異なります。親も神ならぬ身であればこそ、こういう諸条件を勘案しつつ明確な正解が無い中であれこれ思い悩み試行錯誤を重ねているのですから、就労という大きな一区切りの段階までの過程について顧慮せず、結果だけで子(およびその親の姿勢)を判断するというのは雑であり浅薄に過ぎると思います。

結局、誰かの言っていることを真に受けてそのまま行動に出るのではなく、常に社会とのバランスを勘案しつつ、放任や逆に過度の介入にならないように配慮しながら療育という親と子の共同作業を進めて行くしかないのだろうと思います。その過程は機織のようなもので、最初は何だかわからないし多少の織ムラが出る部分もあると思います。でも、ある程度の時間が経てば鮮やかな絵柄が浮き出るでしょうし、それを期待して続けていくべきものなのだと思います。

誰のものでもない、自分たちだけの道を歩んでいくとはこういうことかな、と考えています。

2010年12月22日 (水)

(195) 褒めること

ここのところ息子は良い子になっています。

パソコンに興味が出てきたので、強化子をパソコンに触ることと設定したところ、嫌いな入浴もいそいそと入るようになりました。もちろん、そこで一般の日本人なら歯が浮きそうなくらい褒めることも忘れません。療育とはアメリカ人になることかも、と思ったりします。

実際、英会話スクールの外国の先生は「エクセレント!」「パーフェクト!」「クール!」等など褒めちぎってくれますよね。ABAが外国で生まれた理由の一端はこういう褒める文化にあるのかも知れません。

親としても、イヤイヤ言われるのは楽しいことではありませんが、そこで真面目に受けることなく心を強く持って褒め続けることが大事だと感じることが多くなりました。褒めることにより、結局親の負担も減るとわかれば、必然的にそのように行動することが多くなります。

江戸末期に日本に来た外国人は、子供を叱らず可愛がる日本人の子育てを見てショックを受けたそうです。もしかしたら、昔の日本では今の療育環境が当たり前のようにあったのか、等と想像をたくましくしています。

2010年12月18日 (土)

(194) クリスマス

そろそろクリスマスプレゼントを用意したいと思っているところですが、妻が息子に何が欲しいのかを聞いても答えてくれなかったようです。「サンタさんにお願いしないと来ないよ」と言ってきたのですが。

娘の方は既に欲しいものを言っているのでそれを用意しますけど、息子が無しというわけにもいかないので、たった今私が再度聞いてみたら「ビックリ箱」と言われちゃいました。一応ネットを見たらいくつか商品はあるようですが、本当にそれで良いのかしらcoldsweats01?まあ、本人が希望しているので、そうしようかな・・・

はっきりとはわからないものの、息子はまだサンタさんがいるとは思っているようです。学校の友達も「そんなのいないよ」と言い出したりはしていないようで、最近の親は子供の夢を守ろうとするんだなと、認識を新たにしました。

ちなみに、昨年の息子のクリスマスプレゼントはラジコンカーだったのですが、当日にアンテナの一部が曲がってしまい(その後取れた)、今は単なる手で押して遊ぶ車に格下げになっています(実は、運転の下手な妻のイメージトレーニング用に息子が生まれた頃に買っていたもので、それほど実害感覚はありませんけど)。

ま、鳥のモモ肉とケーキを食べられたらそれで嬉しいようですけどね。

2010年12月12日 (日)

(193) 与太郎

落語に与太郎噺というジャンルがあります。

与太郎は、ぼんやりして間が抜けていて相手の言っていることを額面どおり受け取ってしまう等失敗ばかりやらかす一方で、正直で裏表の無い振る舞いが聞く者の笑いと驚きと(時に)感動を誘うという、憎めないキャラとして描かれています。

こういうキャラってどこかで聞いたことがあるような気がしませんか? 私は与太郎って、恐らく軽度知的障害を伴う自閉症か、知能がそれほど高くない受動型のアスペルガー症候群の人をモデルにしてるのではないか、と思うのです。

このことからは、江戸時代の昔からそういう人がいたことが窺えると共に、そういう人に対する周りの人たちの接し方が、時に怒ったりいらついたり呆れたりしているものの、それでも付き合いを絶ったり見放したりすること無く、しょうがないと毒づきつつも何とかしてやろうとあれこれ手立てを考えたりしており(それが与太郎の解釈で微妙にポイントがずれてまた笑いを誘うわけですが)、そういう人と人との付き合いの余裕があったのだなあと感じます。

忙しい今の時代には望むべくも無いことなのかも知れませんが。

2010年12月11日 (土)

(192) 生涯を見通すこと

「障害児を普通級に入れるな」系の主張をネットで見ることがあります。自分の子が在籍している学校内だけの問題としてとらえ、「とにかく目の前から消えてくれ、後は知らん!」というのはいかがなものかと思いますが、一方で、最初から周囲の援助を当然のもののように考えていたり、周りに対する迷惑への感度が低い親御さんがいるのも事実であり、それぞれの見ている世界(それぞれに見えている世界)が異なる以上、このままでは話がかみ合うこともないわな、と思います。

ただ、単純に「障害があるから」というだけでは、普通級に来るなと言う理由にはなりません。障害があることにより、例えば「授業時間中に静かにきちんと座っていられない」とか「他の子に対して迷惑行為をする」等の具体的な事例が発生していて、かつそれが一般通常の受忍限度を超えるほど頻回あるいは程度がひどく、さらに指導も担任や学校カウンセラーの手に余って改善の見通しがない等の場合に、初めて「その子と一緒に勉強し続けることは困難だ」と言えるのではないかと思います。ここで「その子」としたのは「障害児」全体ではなく、個体の問題だと考えるからです。但し、このような状態になっているのであれば、問題を先送りせず学校と親で今の普通級在籍が適切かを真摯に話合うことが必要になるのは当然だとも思っています。

一方、「普通級の授業内容が本人にとって難し過ぎて、その場にい続けることが本人も苦痛であると思われる」ということもあるでしょう。周囲の子に実害が無ければそれで良いということはなく、本人のやる気・意欲が失われ自己肯定感が持てない環境であると本人が申告、あるいは客観的にそう見える場合には、やはり学校と親で今の普通級在籍が適切かを真摯に話合うことが必要になるでしょう。

学校だけがクローズアップされがちですが、学校が終わった後の人生の方が長いのが普通です。健常児であれ障害児であれ全生涯を通じて幸福追求に向けた環境が整っていることが望まれており、例えば障害児を一生施設に入れておけというような極論は、実現性が極めて低いだけでなく、本当にやろうとすれば中に閉じ込められる障害者にとっても、施設の運営費用を負担させられる健常者にとっても、満足度が高いのか大いに疑問です。

結局のところ、こういう話はレッテルを貼って紋切り型で議論することは馴染まないと思いますし、緻密さよりは丁寧さが求められるんだろうなと思います。

社会の発展は調和を重んじる健常者だけでは成し遂げられなかったのも事実ですし、個別にうまく落としどころを探していく努力が求められると思います。簡単に割り切れるものではありません。

2010年12月 8日 (水)

(191) 有休の一日

今日はカミさんが人間ドック受診ということで、自分は有休を取得して家に一日おりました。

朝、まず息子を叩き起こして(実際には、くすぐり起こしています)、妻が作り置いていた目玉焼きとおにぎりを食べさせました。小学校は通学班になっているのですが、集合時間までに何とか間に合わせて送り出しをすることができました。取って返して妹にポケモンパンを食べさせて幼稚園の制服に着替えさせて幼稚園バスの停まる場所までダッシュで向かい、こちらも何とか間に合いました。

その後、自分が朝食を食べ、みんなの食器を洗い、古新聞を縛ったり昼食のためのご飯を研いで炊飯器にセットしたりして、ちょっとメールを確認したらもう11時半で妹が帰ってくる時間になっていましたのでまたお迎えをすることとなりました(今日は水曜日なので、午前で終わってしまいます)。

カミさんが無事に(人間ドックからも今わかっている範囲では無事に)戻ってきて、3人で昼食(レトルトカレー)を食べ、しばらくしたら息子も帰ってきました。

今日は、息子の体操教室の日でした。自分が家にいるので車で送って行きましたが、息子は相変わらずぎこちないものの確実にうまくなっています。継続は力なりだなと思います。

家に帰って息子が「ヤクルト!」と言い出しましたが、妻も私も「ヤクルトがどうしたの?」と冷たく対応をします。加えて、「ヤクルトがどこにあるの?」「ヤクルトをどうして欲しいの?」「ヤクルトを頭からかけたいの?」と問い詰めます。

そうするとたどたどしく「冷蔵庫の上の棚にあるヤクルトを飲みたいので、取って下さい」と息子が言い出しますが、目が合っていなかったので「お父さんのお顔を見てもう一度言って」とやり直しをさせます。

キチンと言えれば私も渡しますが、その時に息子が黙っていると「ありがとうは?」と聞き、お礼を言うように仕向けます。

もちろん、例えば亭主関白のオヤジさんなら新聞を読みながら「お茶!」と言うだけでも出てくることは重々承知しているわけですが、ここは言葉で説明できるようにしていく必要があると考えており、あるべき姿をキチンと教えないとと思っています。療育というと特別なことだと思うかもしれませんが、こんな感じで日常生活の中でもできることが多いのではないでしょうか。

夕飯後、妻がロールケーキを買っていてみんなでデザートとして食べました。息子は気に入ったのか、他の人よりも早くバクバク食べてしまいましたが、妻の分を見ながら「それはおかあさんのだよ」と妹に言っていました。本当は自分がもっと食べたかったんだろうなと思いつつ、ちゃんと自分の分・他人の分を意識できるようになったことに気付きました。

あれこれやることがあって、あまり休んだ気がしなかった有休の収穫はこれだったのかも知れません。

2010年12月 5日 (日)

(190) 褒められること

息子、褒められることが好きです。当たり前だと言われるかも知れませんが、最近になってたまにですが褒められようと自発的に行動するようになっています。

昨日の夜、外出から戻ったらリビング(と言うほどでもない6畳間)がきれいに片付けられていました。最初はカミさんが掃除したんだと思っていましたが、よく聞いたら確かにカミさんが掃除をしたのですが、息子が多大な貢献をしたとのことでした。

今日の午前中に近くのスーパーに買い物に行って家に戻った時も、こちらが指示したわけではないのですが、商品の入ったピンクかごを玄関から台所まで一生懸命運んでくれました(正直、落として卵が割れないか心配でしたがcoldsweats01)。

親ばかですが、褒められて得意顔になる息子の表情を見るとこちらも嬉しくなります。日々そうだと良いんだけどな、と思ったできごとでした。

(189) 書字

(185)にも少し書きましたが、息子は、まだ普通の鉛筆の持ち方に慣れていません。

何が普通か? ということを定義するならば、親指と人差し指でワッカを作り、鉛筆の片方の先を人差し指の付け根くらいに向けて通し、反対側を親指と人差し指の指先の中指側に通し、中指との間で押さえる、という感じでしょうけど(だと認識していますが)、ちょっと油断すると人差し指・中指・薬指の3本の指先の腹と向かい合う親指で押さえる形になってしまいます。こうなると手首ではなく肩で字を書くこととなります。当然微調整がしにくくなっています。

手首をクリクリと回して書くということがまだまだで、例えば「○」を塗りつぶす時に、私はこの「○」の内側のふちを手首を使ってまさに丸く塗り、更に段々内側に塗っていく、というやり方をしますが、息子は左から右に縦の直線で塗っていきます。当然きれいに塗りきることはできません。

学校の小テスト等で名前を書く欄があるのですが、苗字がやたらでかく字間も開いているのに、名前になると小さくなってそれでも入りきらずにはみ出している状態で、全体のバランスを取ることができないんだなあと思います。

今は、字を書かなくてもキーボードで打てますし(というか、会社ではそちらが普通)、キーボード操作と書字では脳の使うところが違うから、そちらを鍛えた方が良いという意見も聞きますが、そうは言ってもやっぱり困ることもあるよなあと思って、まだ諦めきれずにいます。

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