« (198) 妹のこと | トップページ | (200) この一年を振り返って »

2010年12月28日 (火)

(199) まずは生きること

生存は社会参加よりもより原始的であるがゆえに個の存在の大本だと思います。しかしながら、幼少時に療育手帳等の取得をしなかった知的障害の無い発達障害者の場合、その生存が保障されていないのが実態です。「自分でご飯を食べられないのは恥ずかしい」等という発言が物議を醸していますが、こういう社会参加について議論する前に、前段となる生存(強いて言うなら、「自分でご飯を食べられないだけでなく誰からも助けてもらえず、路上生活」)についてももっと議論されるべきではないかと思います。

福祉は、個々人の足りない部分をきめ細かく補う形であるべきですが、発達障害者で知的障害が無い場合、全くと言って良いほど福祉の手は届きません。そもそも本人に自分が発達障害者であるという認識が無い場合が少なくありませんし、発達障害者支援法に基づく援助の受け方を知っていることもあまり無いからです。

例えば、発達障害で周囲とのコミュニケーションに軋轢が生じて、勤務が続けられなくなるような例はよく聞きますが、福祉にたどり着く確率はかなり低いでしょう。その方面に明るく気の利いた人が職場にいたら、発達障害者支援センターを紹介してくれるくらいはあるでしょうけど。

現状において、精神障害者への精神障害者保健福祉手帳と知的障害者への療育手帳はありますが、発達障害者福祉手帳はありません。従って、知的障害の無い発達障害者は、社会に出て挫折してを繰り返し、心を病むという二次障害を負って初めて精神障害者保健福祉手帳の取得が可能になるというお寒い状況に置かれています。生活保護の申請も同様で、この段階に至るまではほぼ認められないこととなりますが、そもそもこのような状況は、本人にとってだけでなく国家的にも大きな損失ではないでしょうか。まずは発達障害も医師の診断によって認定されるものである以上、独自の手帳制度を作るべきだと思います。

次に、このような状況についてですが、周囲の無理解だけを責め立てて解決する問題ではありません。周囲への啓蒙も必要ですが、本人が正しく自己決定できるための自己認識をきちんとできるようにすることが大切であり、親と本人がそれぞれにケアされるようなしくみを、乳幼児健診も絡めて構築していくことが求められていると思います。

知的障害が無い発達障害者は、知的障害が無いだけに妙なプライドを持ってしまい、それが自立の妨げになることが往々にしてあります。しかしながら、できないことは助けてもらっても恥ずかしいことではない、ということを教えていくことは、後々絶対に役に立つだろうと思います。

ただ、福祉は有限であり、当たり前ですができることは自分でできるようにすること、さらにできることを増やそうとすることは大事です。これを否定される方はいないと思いますが。

« (198) 妹のこと | トップページ | (200) この一年を振り返って »

教育制度・環境」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/514748/50418015

この記事へのトラックバック一覧です: (199) まずは生きること:

« (198) 妹のこと | トップページ | (200) この一年を振り返って »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

twitter

  • twitterやっています

派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ

  • 派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ
    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ