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2010年12月11日 (土)

(192) 生涯を見通すこと

「障害児を普通級に入れるな」系の主張をネットで見ることがあります。自分の子が在籍している学校内だけの問題としてとらえ、「とにかく目の前から消えてくれ、後は知らん!」というのはいかがなものかと思いますが、一方で、最初から周囲の援助を当然のもののように考えていたり、周りに対する迷惑への感度が低い親御さんがいるのも事実であり、それぞれの見ている世界(それぞれに見えている世界)が異なる以上、このままでは話がかみ合うこともないわな、と思います。

ただ、単純に「障害があるから」というだけでは、普通級に来るなと言う理由にはなりません。障害があることにより、例えば「授業時間中に静かにきちんと座っていられない」とか「他の子に対して迷惑行為をする」等の具体的な事例が発生していて、かつそれが一般通常の受忍限度を超えるほど頻回あるいは程度がひどく、さらに指導も担任や学校カウンセラーの手に余って改善の見通しがない等の場合に、初めて「その子と一緒に勉強し続けることは困難だ」と言えるのではないかと思います。ここで「その子」としたのは「障害児」全体ではなく、個体の問題だと考えるからです。但し、このような状態になっているのであれば、問題を先送りせず学校と親で今の普通級在籍が適切かを真摯に話合うことが必要になるのは当然だとも思っています。

一方、「普通級の授業内容が本人にとって難し過ぎて、その場にい続けることが本人も苦痛であると思われる」ということもあるでしょう。周囲の子に実害が無ければそれで良いということはなく、本人のやる気・意欲が失われ自己肯定感が持てない環境であると本人が申告、あるいは客観的にそう見える場合には、やはり学校と親で今の普通級在籍が適切かを真摯に話合うことが必要になるでしょう。

学校だけがクローズアップされがちですが、学校が終わった後の人生の方が長いのが普通です。健常児であれ障害児であれ全生涯を通じて幸福追求に向けた環境が整っていることが望まれており、例えば障害児を一生施設に入れておけというような極論は、実現性が極めて低いだけでなく、本当にやろうとすれば中に閉じ込められる障害者にとっても、施設の運営費用を負担させられる健常者にとっても、満足度が高いのか大いに疑問です。

結局のところ、こういう話はレッテルを貼って紋切り型で議論することは馴染まないと思いますし、緻密さよりは丁寧さが求められるんだろうなと思います。

社会の発展は調和を重んじる健常者だけでは成し遂げられなかったのも事実ですし、個別にうまく落としどころを探していく努力が求められると思います。簡単に割り切れるものではありません。

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